【全文掲載】北村匠海「正気か、この人!?」阿部寛の“効果不明な配慮”に驚愕!?

MC:そして麻生さん、演じられていかがでしたか?

麻生:すごく久しぶりの映画だったんですけど、この撮影が。ワンシーンに1日かけるみたいな、すごく贅沢な撮影で。もうその場にいられただけでとても幸せだなぁと毎日感じていたということもあったり、あとちょうど小さいアキラと同じ年くらいの息子がいるので、役にはすっと入ってはいけたんですけど、アキラとヤスさんの気持ちを考えると辛いなーっていうところもあって、日々いろんなことを考えてました。現場では、私の撮影初日が11月に淡路島で海の撮影だったんですけど、その時の海がすごく綺麗だったのと、もう天気も良くて空がすごい真っ青で綺麗で、そこにトンビが飛んでましたよね。それを見てすごく「あー、なんかこの映画はきっと恵まれている」と感じたのと、その撮影の時に果物を剥きながらセリフを言うのが大変だなと思いました。梨を剥きながらお芝居しなきゃいけなくて、なかなかうまくいかなくて阿部さんに梨をとにかくたくさん食べていただくことになっちゃって(笑)。お腹たぷたぷになっただろうなと思って、本当に申し訳ないことをしたと思いました(笑)。すいません(笑)。

阿部:美味しかったです(笑)。

MC:そして監督、これから皆さん映画をご覧になるわけですが、ぜひ観てほしいポイントはありますか?

瀬々:昭和の時代を描いてる映画なので、ロケ場所は懐かしい場所にこだわったんですけど、今でも実際にそこで生活されている場所というところにもこだわりました。今も生活の匂いがする場所にこだわって撮影してますので、生活感をこの映画の中で感じてもらえればとは思います。もちろん俳優さんたちは全て素晴らしいです。

MC:さあこの映画『とんび』は家族の絆の物語を描いていくということで本日特別にキャストの皆さんに家族のエピソードを披露していただこうということで、写真を持ってきていただきました。スクリーンにご注目いただければと思います。まず阿部さんの家族の絆を表す写真はこちらです。

阿部:僕は横浜出身なんですけど、散々探したんですけどこれが精一杯で。親父が多分撮ってるんですけど、兄弟3人で僕は一番下で真ん中にいて、あとは兄と姉と母親です。うち親父は寡黙なエンジニアで、子供の教育は母親にすべて任せているという人だったんですけども、その親父は今もまだ95歳で生きていてくれているんですね。だから子供の時というよりも、今の方が親父に昔のこと聞いたりとか、積極的に話をするようにしていて、生きていてくれて本当に嬉しいし、ありがたいと思ってます。本当だったら今日も来ているんだけども、こういう時期ですからね。

MC:ありがとうございます。続きまして北村さんの持ってきていただいた写真です。

北村:後ろにいるのが父ですね。顔は出せないっていうので(笑)。父の趣味が釣りだったので、家族で釣りに行くってことがすごいあったんですよね。当時、磯遊びが好きだったんですよ。釣りに行っても磯に行って生き物を取ってる少年だったんで、本当に生き物が好きで。僕の名前の“匠海”に“海”がついてるんですけど、父が釣り好きだったっていうので“海”をつけたという。一節によると“匠海”っていう名前か、“鯉太郎”っていう名前で迷ってたらしくて、僕は仲の良い人には“鯉太郎”って呼ばれていたりするんですけど(笑)、それぐらい海で過ごした少年時代でしたね。父は、同じく11月に生まれたB型で、本当に趣味嗜好の合う、今となっては本当に良き飲み仲間という感じですかね。最近ちょっと父母とお酒飲み過ぎて、ちょっと飲ませすぎかなと思って、最近は自粛してますけど、九州の方と東北の方にそれぞれ両親の実家があって、お酒が送られてきたりするので、そういうお酒を一緒に飲んだりとか。あとはファッションやら映画やら音楽やら、もう全部僕は父母の影響を受けてるので。子供の時に、母にずっと「これかけて、これかけて」って言ってたのが、EGO-WRAPPIN’さんの「くちばしにチェリー」っていう曲なんですけど、随分マセた子供だなと思って。物心も全然ついてない時なんですけど、それぐらい影響の受けやすい子供と自分たちの趣味を押し付ける父母という感じでした(笑)。