MC:ビジュアルが解禁されたときに、斎藤さんの妊婦姿がすごく印象的だったんですけど、あれは特殊メイクをされてるんですよね。
斎藤:そうですね。重さも含めて、リアリティを追求して頂きまして。重心が実際に変化していくっていうことと、身の回りにつかまるものがあるとか、ないとかっていうものも、普段見ている景色が撮影中以外でも変わってきて。なにより共演の方たちやスタッフの方たちが、僕のお腹が大きくなっていることに対して、そこにものじゃなくて、そこに生命があるっていうような扱いをしてくださったんですよね。本番中だけじゃなくて、現場に行く道中だったり、そういったところでも皆さんが、ただ僕のフォルムが大きくなってるんじゃなくて、そこに何かがあるように接してくださって、桧山のキャラクターや表現にもすごく関係してるのかなと。
MC:それはみんなが無意識にそうなっていくんですかね?
斎藤:そうですね。皆さんが僕のお腹に対して、ただ大きいっていうんじゃない、何かを与えてくれたなというのが、この作品の神髄だなと思いました。
MC:上野さん、実際に現場ではいかがでしたか?
上野:歩道橋の上でお腹に触れるシーンがあるんですけど、でもその時も、どう触れていいんだろうとか、この汚い手で触れていいのかな、みたいな(笑)。なんか神聖な命が入ってるっていうのと、触れた時にそれを感じている桧山がどういうふうに受けとるんだろうっていうところまで、気軽には触れられないような、どういう風に相手に伝わるのかが分からないから、繊細な部分だなと思いながら演じました。
MC:斎藤さん、作品の見どころはどこでしょうか?
斎藤:この作品は「ここを観てください」という言葉よりも、それぞれの見方が正解だなと思うんですけど、僕がこの作品に関わって、自分のお腹が大きくなって普段見えない景色が日常の中でたくさん見えて来たとき、ひとつのアングルが増えたなという感じがするんですね。なので僕にはそういうアングルが加わったんですけど、観た方によってどの立場なのか、どのキャラクターなのか、どのシチュエーションなのか、観てる時間だけじゃなくて、観終わった後の日常にこの作品の目線というものが加わってくれたらいいなと思っています。
MC:上野さんはいかがでしょうか?
上野:いろんな方に楽しんで観ていただける作品だと思いますし、フリーランスで働く方とか、ご夫婦でもひとりの方でも、いろんな登場人物が出てくるので、日常を生きる自分っていうのを客観的に俯瞰で見て考えたりできるようなきっかけを与えてくれる作品だと思います。男女が入れ替わるという、役割が入れ替わる設定で物語を描いていくことによって、普段気づけないことにたくさん気づけるので、一度立ち止まって考える時間っていうのは普段生きていてあんまりないじゃないですか。でもこのままでいいんだろうか、かといってすぐ結婚できるわけじゃないしなあとか。でも子供って準備ができて、ゆとりもあって相手もいて、でも子供って授かるか分かんないですし、子供を授かるのっていうのは、誰も予測できないことだと思うんで、本当に全ての方に共感していただけると思いますし、自分だったらどういった反応が出るんだろう、どんな風に相手に接することができるんだろうって、自分自身の人間性を試される部分もあると思います。性別問わず桧山や亜季にも共感していただけると思うので、幅広い人達に観ていただければと思います。
MC:箱田監督も見どころをお願いします。
箱田:物語的にはもちろん主人公は桧山であり亜季なんですけど、それを取り巻く一人一人に、どう自分があるべきか、どう生きていくべきかみたいなそれぞれの物語が一つ一つのキャラクターにあるので、例えば桧山の親世代はどうだったとか、彼よりも若い世代はどう思っているのかみたいな、考え方もそれぞれ違うんですけど、ほぼすべてのキャラクターが主人公だなっていう感じがして、私はちょっとウルッとしてしまって。この中に自分がいたらどう思うのかみたいなふうに観ていただくのも楽しいかなと思います。
MC:菊地監督はいかがですか?
菊地:スタッフも映画をやられているチームが集まってくれて、例えば普段だとちょっとそこまでこだわりを持ってできない部分とか、いろんな解釈が出来るような画面が、充実している部分もいっぱいあります。ちょっとのシーンしか出てこない登場人物でも、ちゃんとお芝居のできる達者な人にこだわってキャスティングできたので、ドラマの世界の隅々まで発見があると思います。そういう観点で観て頂きたいですし、桧山と亜季を取り巻く人たちの中でもいろんな変化が起こっていることを細かく演出できたつもりなので、そういうところに注目していただきたいなと思います。
MC:ここからはちょっと趣向を変えまして、皆さんの後ろにありますこのキューブボックスに書かれたキーワードに関してお話しをうかがいます。まずは斎藤さんに選んでいただきましょうか。
斎藤:「らしさとは?」でいいですか。「らしさ」という言葉でくくっていたこと、それによっていろんな犠牲が生まれていたっていう、二者択一じゃなくて誰も犠牲にならない道はないんだろうかっていう、模索するっていうこと自体を桧山が気づいていくべきことだったのかなというのは、この物語の桧山の成長譚の一つの大きな気づきなのかなと思ってます。お母さんはお母さん、お父さんはこうであるっていうような、そういうフォーマットに見えない小さな犠牲を閉じ込めていたのかなというのは、この作品に出会って強く感じました。このタイミングで世の中に配信されるということも、すごく深いメッセージを持った作品なんじゃないかなと、非常にコメディタッチではあるんですけど、そもそも「らしさ」っていうものにどこかかまけていた自分に、この作品に出会って感じることが多かったですね。時代が、この作品も含めてダイバーシティというものを求めていると思うんですよね。なので今までの良い文化を継承してアップデートするっていうフェーズに差し掛かっているのかなと思うんですけれども、その中でこの桧山の「らしさ」の概念っていうのは希望をくれたなと思ってます。
MC:斎藤さん自身が自覚している「らしさ」はありますか?
斎藤:一時期、艶やかな役柄をいただくことが多かったんですけど、素の僕を知ってる人は「そんなわけない」というふうに笑ってたんですね(笑)。そのイメージをいただいたからこそ、逆に振り切れるっていうこともあり、年末に絶叫したりなんかも、そういう「らしさ」ってこうだって本人が思ってなくても、「らしさ」をもらうと、その立ち位置からまた手を伸ばして届くものがあるんだなというふうなことは常日頃思っているので、常に自分がどう捉えられているかっていうことの逆を意識して生きていきたいなと思います(笑)。