翻訳家・小山太一とコラムニスト・山崎まどかが登壇!『追想』トークショー レポート

「アムステルダム」でブッカー賞を受賞し、数多くの話題作を生み出しているベストセラー作家イアン・マキューアンの小説「初夜」を、シアーシャ・ローナン主演で映画化した『追想』が8月10日より公開される。このほど、7月26日にTSUTAYA TOKYO ROPPONGIにてトークショーが行われ、翻訳家の小山太一とコラムニストの山崎まどかが登壇した。

トークショーの頭には映画の予告編の上映があったが、小山は「映画の関係者には悪いんだけど、ゆるふわなキレイな部分ばかりまとめちゃって!という予告ですよね(笑)。こんな映画じゃないですよ」と開口一番、正直な感想を口にすると、山崎も「たしかに」と賛同の声を上げた。物語について「この作品は半端な人たちの物語で、とてもとんちんかんなんです。はっきり言ってしまうとまぬけと言うべきか」と小山が言えば、山崎は「はっきり言ってしまうとそうなんですけど、でもコメディではなく、胸がキューっと痛くなる等身大の痛みを描いているんですよね」と補足した。

まずは作者のイアン・マキューアンについて話が及んだ。マキューアンは英国で権威のある文学賞の受賞経験があり、さらには毎年ノーベル文学賞の受賞も期待されているなど、まさしくイギリスを代表する人気作家であると説明。マキューアン作品を知り尽くす小山は、「マキューアン作品は時代とともに変化していて、大体3期に分けることができます。デビュー当初の第1期は、クールでグロテスクで、ちょっと生意気な作風。いわゆる“アンファンテリブル”<恐るべき子供>と呼ばれていたんです。『時間のなかの子供』あたりから第2期に入り、私が翻訳した『贖罪』あたりまでは、人間の恐ろしさがテーマとなった重厚な人間ドラマを多く書くようになりました。その後の第3期は、物語に“軽み”が出てきたんです。下手な作家なら物語にはできないような、“微妙”な人物を主人公に、物語になるかならないかの瀬戸際の物語を書く。映画の原作でもある『初夜』は第3期の作品で、まさに物語にならない滑稽さが魅力となっているんです」と、これまでのマキューアンの作風を振り返る。

映画『追想』へと話題が移ると、山崎は「『つぐない』のシアーシャ・ローナンが再度マキューアンのヒロインを演じるというのは感慨深いですね」と前作へ思いを馳せ、小山は「あの幼い少女がこんなに大きくなっちゃって。と近所のおばさんのような気持ちになります」とこれまた正直な意見を述べる。続けて「彼女は絶妙に地味な感じがいいですね。西洋人なんだけど醤油顔で和風」と絶賛すると、山崎も「山田洋二映画のヒロインの風格がある」と同調した。

1962年、性に対して開放的な考えが広まる前の時代が舞台となる本作だが、「原作では肉体的な表現が多い」と明かした山崎。「どうやって映画化するのか?と思ったら、映画はラブストーリーに重きをおいているんですよね。物語の舞台は1962年の春で、この年の秋にビートルズがデビューするので、まさしくスウィンギング・ロンドンの前夜を描いている」と説明。「世代的にいうと登場人物の2人はジョン・レノンと同い年ぐらい。フローレンスは中流階級で、まったくユースカルチャーに浸かっていない、いわば乗り遅れている人たち。マキューアンは1948年生まれで少し上の世代となるんですが、この乗り遅れた雰囲気をとても上手に描いていることに感動しました」とカルチャーを専門とする山崎ならではの視点で感想を述べた。小山は「この時代は個人の自由意志が尊重されはじめようとしていた頃。主人公は“自由になりたい”と願いながらも、自由意志の扱い方をまだよく分かっていなかったという。彼らは本当に世代の間にいたんですよね」と捉えた。

小説のタイトル通り「初夜」が描かれる本作の性的な表現の違いについて話が及ぶと、山崎は「フローレンスは性的な行為に対しトラウマがあるのですが、その説明は原作では曖昧にぼやかされているんです。映画ではその表現がとても面白い。原作を既に読んだ人も、あとから読む人も『こう表現したんだ!』と新たな発見ができると思います」と具体的な例をあげる。これには小山も同意見で、「マキューアンという人は映画と小説というそれぞれの媒体を理解していて、ちゃんと使い分けていますね。問題のそのシーンは自由間接話法というテクニックを利用していて、翻訳者泣かせだと言われています」と技術的な話を展開。また原作の翻訳はかなりの薄味でおしゃれに訳していると明かし、小山流に濃い味に翻訳した文章を披露し、訳者によって印象が変わるというデモンストレーションを行ってみせ、客席からは拍手が沸き起こった。

実際にイアン・マキューアンに会ったという小山は「自宅でインタビューを行ったんだけど、とても紳士でしたよ。見た目は日本人作家、藤沢周平みたいな枯れ専にモテそうなかんじ(笑)。こっちが10聞こうとすると 11 答えてくれる優しい方でした」と思い返すと、山崎は「彼は日本でも人気がありますので、日本に来たらみんな喜ぶ。ぜひ会ってみたい!」と目を輝かせた。

イアン・マキューアンへの愛を1時間かけて熱く語った2人は最後に「原作と映画の両方を語れる機会はありそうでなかったので、とても楽しかった。映画と原作のどっちが先でも失望させない作品。映画は原作とは終わり方が違うのでその点でもどちらも楽しめる」と、見事に小説と映画を合わせて宣伝しイベントは幕を閉じた。

『追想』
8月10日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ ほか全国ロードショー
監督:ドミニク・クック
脚本・原作:イアン・マキューアン「初夜」(新潮クレスト・ブックス刊)
出演:シアーシャ・ローナン ビリー・ハウル エミリー・ワトソン アンヌ=マリー・ダフ サミュエル・ウェスト
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES

【ストーリー】 1962年、夏。世界を席巻した英国ポップカルチャー「スウィンギング・ロンドン」が本格的に始まる前のロンドンは、依然として保守的な空気が社会を包んでいた。そんななか、若きバイオリニストのフローレンスは歴史学者を目指すエドワードと恋に落ち、人生をともに歩むことを決意する。結婚式を無事に終えた2人が新婚旅行として向かったのは、美しい自然に囲まれたドーセット州のチェジル・ビーチ。しかし、ホテルで2人きりになると、初夜を迎える緊張と興奮から、雰囲気は気まずくなるばかり。ついに口論となり、フローレンスはホテルを飛び出してしまうのだった。家庭環境や生い立ちがまるで違う2人であっても深く愛し合っていたが、愛しているからこそ生じてしまった“ボタンの掛け違い”。それは、今後の2人の人生を大きく左右する分かれ道となってしまう。フローレンスとエドワードにとって、生涯忘れることのできない初夜。その一部始終が明かされる…。

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