永井荷風が1931年に発表した「つゆのあとさき」を原案にした長編映画『つゆのあとさき』が、年内に公開されることが決定した。
原作は昭和初期の銀座のカフェを舞台に、自由奔放だが逞しく生きる女給の主人公と彼女と関係を持つことになる軽薄な男たちを描いている。大文豪・谷崎潤一郎に「文学史上に我が昭和時代の東京を記念すべき世相史、風俗史とでも云ふべき作品」と激賞された名作であり、「昭和初期の銀座の風俗史」ともいえる作品だ。映画は、小説の持つ普遍性を踏襲しながら、時代をコロナ禍の渋谷に置き換え、様々な事情で パパ活をすることになった女性達のリアルな青春を描く、「令和の渋谷の現在(いま)」を映した作品になっている。
監督は『テイクオーバーゾーン』、『YEN(DIVOC−12)』、『なん・なんだ』で現代の問題を独自の目線で切り取り、エンタメ作品に昇華してきた気鋭・山嵜晋平。脚本は『戦争と一人の女』や『さよなら歌舞伎町』、『花腐し』等、長年、荒井晴彦と共に脚本を作り上げてきた中野太。山嵜とは『なん・なんだ』以来のタッグとなる。
本作は“パパ活をする女性達”の配役をオーディションで選出した。主人公の琴音を演じるのはオーディション約200名の中から選ばれた新人の高橋ユキノ。勤めていたキャバクラがコロナで閉店したため、出会い系喫茶でパパ活をすることになり、男達や時代に翻弄されながらも、逞しくサバイブしていく様を見事に演じている。出会い系喫茶で知り合い、友人となるさくら役には、ムロツヨシ演出・出演の舞台「muro式.がくげいかい」で400人を超えるオーディションから抜擢されて注目を集めた西野凪沙。学費のためにパパ活をしながら、教師を目指す大学生を演じている。琴音の友人でホストに貢ぐためにパパ活を続ける楓役をABEMA「恋とオオカミには騙されない」等に出演し、若者の支持を集める吉田伶香が演じている。
▼キャスト&スタッフ コメント
■高橋ユキノ(琴音役)
今も、渋谷の街を歩く時にふとあの夏を思い出します。物語の主人公、「琴音」はどこにでもいる日本の女の子です。今日すれ違った人の中に、彼女たちがいたかもしれません。生きるということは、理不尽なことのほうが多い。だけどどんなに存在がちっぽけだって、森を彷徨うような現状だって、琴音は生きていきます。これから、この映画と出会ってくれる皆さんに心からの感謝を込めて。多くの人に「つゆのあとさき」が届きますように。
■西野凪沙(さくら役)
この東京の街で、日々を懸命に生き抜こうとする少女たちがいました。誰もが抱いている閉塞感に押し潰されそうになりながらも、逞しく。街は賑やかなのに、どうしてこんなにも独りぼっちなんだろう。コロナ禍を経て、より大きく膨らんだこの不確かな喪失。そんな、わたしたちを取り巻く世界に対しての希望があるとするならば、やはりそれは人と人とがつながることで生まれるものなのだと、わたしは信じてやみません。皆さんが観賞後にどういった感想を抱いてくださるのか。それがとても楽しみです。最後になりましたが、山嵜監督をはじめ、主演の高橋ユキノちゃん、そして共にこの映画を創ったすべての方々に感謝します。
■吉田伶香(楓役)
楓役を演じさせて頂きました吉田伶香です。私達の知る日常とはかけ離れた生活が彼女達の日常であり、世間的に見れば痛々しく自堕落な生活の中でも日々悩み苦しみ生きている姿がありました。今この瞬間を関わってくれている家族友達を大切に生きようと思わせられる作品になっていると思います。誰かの苦しみに寄り添い、背中を押せたら良いなと思います。
■山嵜晋平(監督)
永井荷風が昭和初期に書いた小説『つゆのあとさき』の背景にある時代性が、コロナ禍真っ只中の2022年と通じるものがあると思い、今の時代に舞台を移して映像化したいと強く感じました。自身の持つ「知力」「体力」「経験」「知識」、それだけでは足りず、「身体」そして「感情」さえも売り物にして、ある意味での「感情を殺して」自分と自分を切り離し生きていく女性が、絶対に生きていくという“強い意志”を、“昭和”と“令和”、時代は違えど感じてもらえれば幸いです。今作の主役・琴音役の高橋さんを始めとした“パパ活”をする女性達役はオーディションに来ていただいた方に出演していただきました。「引かないで 受けないで 負けてはいけない 何があっても つらくても貴方たちは大事なところでは絶対に負けない 自分を強く持って」撮影中に高橋さんたちへ何度も伝えた言葉です。劇中、男性からの激しい言動を、何の防波堤を持たず受ける時に期せずして出てしまう、彼女たちの“素のリアクション”に対して、「こうあってほしい」、「気持ちを強く持ってほしい」と何度も伝えた言葉は、私が様々な境遇で生きている現実の若者達に対して常日頃、思っていることでもあり、そのまま今回の映画の根底にあるモノと考えています。
■中野太(脚本)
小説『つゆのあとさき』を一読し、主人公のキャラクターに惹かれた。「生まれついての浮気者」であり「小説でみられるような恋愛」をしたことがない彼女には嫉妬の感情がなく、男女のドロドロとした情念のセックスもしない。基本的に抱く(抱かれる)男の内面に興味はなく、ただ自身の快楽だけを大切にしている。承認欲求が希薄な快楽主義者の若い女性。対して彼女と絡む男たちは嫉妬、承認欲求、支配欲の塊で、これは今の男性たちとそう変わりはない。清岡を始めとして、男たちは彼女に執着するが、彼女はそんな男たちを手玉にとって軽やかに渡り歩いていく。自分の身体は自分のもので、他者に依存しないで生きる女性。だがそこには乾いた虚無感もある。昭和6年(1931年)に発表された小説で、そのような主人公を描くことは、倫理と道徳に価値を置きたがる現在に一石投じられるのではと思った。プロデューサーの佐藤さんからは若い女性の貧困問題もやりたいと提案され、奨学金返済で苦しむ女子大生を主人公の相手として設定して、二人の友情物語ができないかと共作の鈴木理恵とプロットを作り、主に若い女性の会話を鈴木に書いてもらい、男たちは俺が書いた。途中、山嵜も面白いアイディアを出してくれて、文字通りの共作をしながら作った。それぞれのよさが生きる脚本になったと思う。二人を演じてくれた高橋ユキノさんと西野凪沙さんの佇まいが素晴らしい。
『つゆのあとさき』
監督:山嵜晋平
原案:永井荷風「つゆのあとさき」
脚本:中野太 鈴木理恵 山嵜晋平
出演:高橋ユキノ 西野凪沙 吉田伶香
配給:BBB
【ストーリー】 キャバクラで働いていた琴音(20)は、コロナ禍で店が休業、一緒に住んでいた男に家財を持ち逃げされ、家賃を払えなくなり…完全に生活につまづき、行き場を失ってしまう。そんな中、知り合った楓(21)の紹介で出会い系喫茶に出入りする様になり、男性客とパパ活をすることで日々を切り抜ける生活をしている。おかしな客に絡まれたりネット上で中傷をされたりしながらも、あっけらかんと逞しく生きている琴音は、あることがきっかけで、同じ出会い系喫茶でパパ活をする大学生のさくら(20)と出会う。性格も育ちも自分とは正反対。生まじめで何事も重く受け止めてしまうさくらと琴音は不思議とウマが合い、友情を深めていくのだった。体目当ての矢田(42)、出版社の社長でパトロンでもある清岡(36)、容姿端麗なダンサーの木村(28)ら軽薄な男たちと、生活のため、ホスト狂いのため、学費のため、各々の理由でパパ活をする女性達の対比で物語は進んでいく。
©2024BBB