ノーベル平和賞候補になり、朝日賞や埼玉県民栄誉賞などを受賞した水墨画で風景画家の丸木位里(1901‐1995)と人間画家の丸木俊(1912‐2000)夫妻が、40年に渡り戦後一貫して描いてきた戦争の地獄図絵を紹介するアートドキュメンタリー『丸木位里・丸木俊 沖縄戦の図 全14部』が、6月17日より沖縄・桜坂劇場にて先行公開、7月15日よりポレポレ東中野、8月1日より東京都写真美術館ホールほかにて公開されることが決定した。
1945年の沖縄戦の写真は、アメリカ側が撮影した写真しか存在していない。丸木夫妻は、「日本人側から見た記憶を残しておかなければいけない」と、1982年から1987年に沖縄戦を取材し、「沖縄戦の図」14部(「久米島の虐殺1、2」「暁の実弾射撃」「亀甲墓」「喜屋武岬」「ひめゆりの塔」「沖縄戦―自然壕」「集団自決」「沖縄戦の図」「ガマ」「沖縄戦―きやん岬」「チビチリガマ」「シムクガマ」「残波大獅子」)を制作した。今までは二人で進めてきた共同制作だが、沖縄に来て、体験者の証言を聞き、生々しく残る戦地を歩き、村人も参加する開かれたものになっていった。完成した「沖縄戦の図」は、平和を願い描いた二人の作品群の中でも、余すことなく戦争の悪を描き、日本軍の愚かさを伝えてその記憶を未来へ継承しようとする怒り溢れる作品となった。
本ドキュメンタリーは、個々の絵についての説明や批評はあった「沖縄戦の図」全14部を全て紹介する初めての試みである。二人が最晩年、6年かけて取り組んだ「沖縄戦の図」の制作の軌跡を辿ることで、「反戦反核の画家」と一言では語り切れない、二人の命に対する眼差しを丁寧に紹介していく。
同時に、二人が証言を聞いた人々にインタビューすることで、二人が「戦争悪が凝縮している」と驚いた、家族同士が手をかけた集団自決など、「空爆」や「空襲」とは全く違う様相を見せた「地上戦」である沖縄戦の色々な側面を見せる。存命の直接戦争を語れる体験者が数少なくなっている中、貴重な映像資料となっている。
「沖縄戦の図」全作品は、米軍から「美術館建設のためなら」と先祖の土地が返還された特別な土地に建てられた佐喜眞美術館に収められている。「命こそ宝」という概念コンセプトが来場者に伝わる空間とするための工夫も紹介されている。
また、なかなか戦争体験を語ろうとしない人が多い中、沖縄戦については沖縄民謡の歌詞としても残っている。若い沖縄民謡唄者の新垣成世と同級生で平和ガイドでもある平仲稚菜が「沖縄戦の図」などから戦争について学び、民謡でも戦争体験を継承していく姿も織り込まれている。
6月17日より沖縄の桜坂劇場、6月23日より宮古島のよしもと南の島パニパニシネマにて先行公開が決まっている本作は、7月15日〜7月28日にポレポレ東中野、8月1日〜8月6日に東京都写真美術館ホールほかにて全国順次公開される。
■河邑厚徳(監督・撮影)コメント
2020年、はじめて「沖縄戦の図」の前に立った瞬間、金縛りにあったように言葉を失った。美術館を出た時には、一枚一枚の絵を貫いたアートドキュメンタリーを作りたい気持ちに火が付いていた。映画公開を前に、G7広島サミットを見ていて、「沖縄戦の図」が宜野湾の佐喜眞美術館に収められている意義は想像以上に大きいと感じた。丸木位里、俊は「原爆の図」で世界に知られる画家である。二人の画家は、広島、南京大虐殺、アウシュビッツと第二次世界大戦の三大虐殺を描き上げ、強く望んで1982年12月に沖縄の土を踏んだ。40年間の沈黙がとけ体験者がようやく語り始めた時である。あの悲劇の歴史を伝え続けなければ、戦争はまた起きるという危機感を画家と沖縄住民が共有した。皆が丸木夫妻を応援し、いい絵を描いてくれと願い、協力した。映画では、初めて沖縄戦の図・全14部をのこらず紹介した。個々の絵についての解説はあるが、それを積み重ねてみると画家の考えの軌跡が見えてくるのではないだろうか。絵に描かれていたのは「空爆」や「空襲」と違う様相を見せた地上戦の真実、愚劣な軍隊、嘘と洗脳で死んだ民間人。二人の画家は終戦後に起きた久米島の虐殺から描き始めたが、最後は読谷村の戦後を描ききって未来の沖縄へと希望を託した。
写真:石川文洋
『丸木位里・丸木俊 沖縄戦の図 全14部』
2023年6月17日(土)〜沖縄・桜坂劇場にて先行公開
2023年7月15日(土)〜7月28日(金)ポレポレ東中野
2023年8月1日(火)〜8月6日(日)東京都写真美術館ホールほかにて公開
監督:撮影:河邑厚徳
ナレーション:ジョン・カビラ
朗読:山根基世
出演:新垣成世 平仲稚菜 島袋由美子 平良修 平良悦美 真喜志好一 佐喜眞道夫 山城博明 吉川嘉勝 丸木ひさ子 岡村幸宣 知花昌一 山内徳信 金城実 本橋成一 石川文洋
配給宣伝:海燕社 アルミード
【作品概要】ノーベル平和賞候補になり、朝日賞や埼玉県民栄誉賞などを受賞した水墨画で風景画家の丸木位里(1901‐1995)と人間画家の丸木俊(1912‐2000)夫妻は、「日本人側から見た記憶を残しておかなければいけない」と、1982年から沖縄戦の取材を始める。夫妻が最初に描いたのは、米軍でなく日本兵によって終戦後になって行われた、久米島民の虐殺。しかし、「原爆の図」「南京大虐殺」「アウシュビッツ」と40年に渡り、戦後一貫して戦争の地獄図絵を描いてきた二人は、いつかは希望を描きたいと願っていた。二人が最後に描いたものとは?1987年までの6年間で描かれた「沖縄戦の図」14部の制作の軌跡を辿ることで、二人の思考を明らかにし、二人が出会った人たちを通して、沖縄戦以降の沖縄の歴史を振り返る。
©2023 佐喜眞美術館 ルミエール・プラス