【全文掲載】菅田将暉「“チェロ:菅田将暉”って書いてほしい」オファーと違う!?予定外の弾き語りに「ヘトヘトな顔してましたね」

MC:ありがとうございます(笑)。役所さんは田中泯さんがお父さんだったんですもんね?

役所:そうです。前の作品でもお父さんでしたね(笑)。

田中:そうでした(笑)。

MC:ありがとうございました(笑)。さて、今回は実在していた人たちを演じたわけでございます。何か役作りする上で準備されたこととか、いろいろあったかと思うんですけれども、具体的にどんな事をされたのか教えていただいてもいいでしょうか?

役所:原作を読み込むこと、脚本を読み込むことと、あと今回は方言ですね。花巻弁をできるだけ花巻の人たちに笑われないぐらいのレベルまで行きたいなと思いました。あとは自分で台本を読んだり、原作を読んだりするだけではだめで、現場に行って家族たちの顔を見たり、セリフを聞いたり、そういうことをしながら政次郎という役がだんだん出来上がってきたような気がします。

MC:菅田さんはいかがですか?

菅田:今回はやることがたくさんあったので、言葉もそうですし、チェロもそうですし、書く作業であったり、お経の唱え方だったり、色々させていただきました。

MC:しかもチェロは全部弾かれてるって聞きましたけれども、どのくらい練習されたんですか?

菅田:何ヶ月かはやらせていただきました。最初は「指さえ動いていれば良い」ぐらいなオファーだったんですけど、だんだん「音鳴るんだ?鳴るなら音も使いたい」みたいな。「生で使うんですか?」って。そしたら「音はもうできるから歌ってほしい」「チェロの弾き語りですか?」って、現場で同録で音を録ることってまあ無いんですよ。お芝居しながらだと大変だし、上手く弾くことも大変なんで、まさかそんなトライをさせていただいて、だからサントラとかに載って欲しいです。「チェロ:菅田将暉」って書いてほしいです(笑)。

MC:役所さん、聴かれていかがでしたか?

役所:もうね、本読み時はチェロの練習してたんでヘトヘトな顔してましたね(笑)。でも本番の時は見事だったです。感動しました。

MC:森さんは、どうですか?

森:宮沢賢治の作品をいろんな見方ができるようになってから改めて見直して、どうしてトシがそこまでお兄ちゃんを愛するようになったのかっていう様子をたくさん見つけたりとか。例えば花巻弁がめちゃくちゃ難しかったのは覚えてます。全員苦戦しているイメージがあって、みんなでチームワークのような気持ちもあって、「こうじゃない?こうじゃない?」みたいな(笑)。方言指導の方もすごい忙しそうだったなとか思い出しながら。でも現場に入ってから、皆さんと芝居してから出来上がるものが一番で、私はあんまりトシの要素がなかったので、ちょっと不安だったんですけど、守りたいと思う原因をたくさん家族の中で見つけたので、すぐ気持ちを理解することができました。

MC:豊田さんどうですか?

豊田:僕はとにかく皆さんに馴染めるように、現場でたくさんお話しさせていただいたりとか、そういうところから一歩一歩清六を演じていこうという気持ちでした。あとは方言だったりとか、清六が書いた本を読んで、清六ってこういう気持ちだったのかなって少し理解できたらいいなって思いながら過ごしていました。

MC:役所さんと菅田さんとは何かおしゃべりされたりしましたか?

豊田:たくさんお話させていただきましたね。

役所:撮影がないときも見学に来て。

菅田:ずっといましたよね。

役所:偉いなと思って。菅田くんに言われたのかな?と思って(笑)。

菅田:そうなんです…(笑)、ウソです(笑)。

豊田:(笑)。本当に貴重な経験だと僕は思っていたので、とにかく見逃さないように聞き逃さないように、毎回現場に行ってました。

MC:坂井さんはいかがでしたか?

坂井:私も方言と、発する言葉に嘘があってはいけないなと思いましたので、そこは一生懸命勉強しました。あとは、その時代の女性がどういうふうに家庭の中であったのかっていうことを調べたりして、あとは撮影現場に入って皆さんとのやり取りの中で見つけられた部分も、とても大きかったと思います。

MC:しかも坂井さんは役所さんと初共演だったんですよね?

坂井:はい、そうです。私も“役所広司教”なんで(笑)。本当になんとも光栄といいますか、本当に幸せでした。本当に監督、ありがとうございます。

役所:光栄です(笑)。

MC:田中さんはいかがでしたか?

田中:どこの家庭でも、おじいさんって、どちらかと言ったら自分が先に行くんだという意識の中でいるわけですけど。なんかどっかで分かりませんが、生まれてきた時も世のなかも環境もどんどんどんどん変化して行く中で、親子であるということっていうか、ですから役所さんが私のせがれなんですけど、継承というんでしょうか。個人はどんどん変質して行くのに、それでも親子であるということを繋いでいっている見えない何かみたいなものはとても感じました。で、素晴らしいシーンを少なくともおじいさんは監督に作って頂いて、それが実現した。その思いでは僕にはとても尊いもので、きっとなくならないと思います。近い年になってきていますので、これからも心して年をとるということと、自分自身がどう繋げて生きているのかっていうのを学ばせていただけたいい機会でした。ありがとうございました。

MC:成島監督、撮影を振り返ってみて、皆さんの忘れられない撮影シーンとか一つあれば教えてください。

成島:監督ですから、全部のシーンが可愛くてしょうがないんですけど、最後のシーンを撮った時に映画の雰囲気がなかったというか、この映画は明治、大正、昭和という三つの時代をまたぐので、最初ろうそくの時代から始まって、途中でランプの時代があって、最後は裸電球になるんですけど、その中での流れの中で、最後に「鉄道鉄道の父」という題名通りのところで落ち着いていくんですけど、そのシーンを撮った時に、映画の終わりっていうか、ようやくゴールがトンネルの先に見えたなって感じがしたの覚えてて、やっぱりすごく好きなシーンになりました。

MC:どうもありがとうございます。宮沢賢治のお父さんって、あの時代にして、本当に珍しく子育てだったり、子供と一緒に過ごす時間を大切にされたのかなっていうふうに感じたんですけど、役所さんは政次郎というキャラクターを演じられて、どんなところが気になりましたか?

役所:まあ、これだけのことができたっていうのは、宮沢家の財力もあると思うんですよね。賢治に音楽を聴かせたり、あの頃、蓄音機なんて恐らくなかったでしょうし、でも基本的には、泯さん演じる父親よりも、反発もあったんでしょうね。結局は生まれてきた時には、その初めての子は賢治で、その時初めて父親になった政次郎なので、賢治の成長と共に政次郎も少しずつ成長して行ったのかなと。自分は非常に威厳のある父親を演じていますけど、子供たちも妻も、隙だらけの男だと思っていたと思います。だから賢治はしょっちゅう金の無心に来るんですけど。『銀河鉄道の父』というのは非常に愛嬌のあるユーモアのある作品になってるような気がしましたね。