「あの日、何があったのか」遺された親たちの10年に及ぶ思いを記録『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』2023年2月公開

2011年3月の東日本大震災で、学校で唯一、多数の犠牲者を出した宮城県石巻市の大川小学校。「ただ真実が知りたい」という思いで親たちが記録を始め、のべ10年にわたる映像をドキュメンタリー映画としてまとめ上げた、寺田和弘監督の長編初監督作品『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』が、2023年2月より公開されることが決定した。併せて、メインビジュアルがお披露目となり、寺田和弘監督と著名人よりコメントが寄せられた。

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2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市の大川小学校では津波にのまれる形で全校児童の7割に相当する74人の児童(うち4人は未だ行方不明)と10人の教職員の命を失った。地震発生から津波到達までには約51分、ラジオや行政の防災無線で情報は学校側にも伝わりスクールバスも待機していたにも関わらず、学校で唯一の多数の犠牲者を出した。この惨事を引き起こした事実・理由を知りたいという親たちの切なる願いに対して、行政の対応には誠意が感じられず、その説明に嘘や隠ぺいがあると感じた一部の親たちは真実を求め、市と県に対して提訴に至った。

この裁判の代理人を務めたのは吉岡和弘、齋藤雅弘の両弁護士。わずか2人の弁護団で、「金がほしいのか」といわれのない誹謗中傷も浴びせられる中、原告となった親たちは事実上の代理人弁護士となり証拠集めに奔走する。裁判で最も辛かったのは子どもの命に値段をつけなければならないことだった。それを乗り越え5年にわたる裁判で「画期的」な判決を導く。親たちがのべ10年にわたって記録した膨大な映像を寺田和弘監督が丁寧に構成・編集し、追加撮影もあわせて後世に残すべき珠玉の作品を作り上げた。

■寺田和弘(監督)コメント
「裁判なんてしたくなかった」これは原告となった遺族の声です。 なぜ遺族は裁判に踏み切らざるを得なかったのか。画期的と言われる仙台高裁判決を社会はどういかしていくのか。こうした思いから、「生きる」大川小学校津波裁判を闘った人たちを制作しました。映画は、津波が大川小学校を襲った後、わが子を見つけるために保護者が必死になって駆けつけた、その日から始まります。「あの日何があったのか」「なぜわが子が学校で最期を迎えたのか」ただそれだけを知りたくて、石巻市教育委員会の説明会や事故検証委員会などに出席し、遺族は様子を記録し続けました。この映画は、遺族が撮影してきたその映像記録を軸に描いています。この映画を通じて、裁判で闘わざるを得なかった遺族の苦悩、子どもが生きるはずであった人生を生きなければと葛藤し続け、前を向き始めた姿を知っていただきたいと思っています。共感しやすい感動的な奮闘ストーリーがある映画ではありません。起きた事実を記録しているため、見ていて、苦しく、つらい場面があるかも知れません。それでも「誰にも同じ思いを二度としてほしくない」と闘った親たちの生き様を、劇場で多くの方々と一緒に観ていただければ嬉しく思います。

■尾木直樹(教育評論家/法政大学名誉教授)コメント
わが子への愛に裏打ちされた、真実を求める遺族の情念により、教育現場の虚構(フィクション)は一枚一枚剝がされ、真相が露わになっていく。全国民必見のドキュメンタリーです。

■竹下景子(女優)コメント
生きること。忘れてはならないこと。私達にできること。震災から11年が経った今も強いメッセージが伝わってきます。

■堤幸彦(映画監督)コメント
自らの時代の不条理との関わり方を強く考えさせられる、そんな力を持った作品だ。

■江上剛(作家)コメント
この映画は親たちの戦いの記録である。その戦いは誠実さに溢れ、力強く、亡くなった子どもたちに寄り添うもので映画を観る者たちの心を震えさす。

■大谷昭宏(ジャーナリスト)コメント
悲しみのどん底から負うた子の指差す冷たい深みに足を踏み入れ、闘った親御さんに、たった2人の弁護団に、心から敬意を表したい。

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『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』
監督:寺田和弘
主題歌:「駆けて来てよ」(歌:廣瀬奏)
配給:きろくびと

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