山崎ナオコーラ「大笑いしながら観た」、井之脇海「前原瑞樹に嫉妬した」著名人絶賛!『アボカドの固さ』

第41回ぴあフィルムフェスティバル コンペティション部門PFFアワード2019にてひかりTV賞、第20回TAMA NEW WAVEにてある視点部門入選と自主映画ながら高い評価を得た映画『アボカドの固さ』が、4月11日より公開される。このほど、各界著名人より本作を絶賛するコメントが寄せられた。

本作は、誰しもが経験したことのある“失恋”というプライベートな出来事をリアルに描くドラマ。俳優の前原瑞樹(まえはらみずき)は5年間付き合った彼女から距離を置きたいと言われるも、どうにかヨリを戻したい一心で、日々周囲の人に失恋相談をしては嘆いていた。1ヶ月後に迎える自身の25歳の誕生日までは彼女からの連絡を待つと決めるが、待てど暮らせど、彼女からはなんの音沙汰もなく…。

▼著名人 絶賛コメント

■俵万智(歌人)
大のアボカド好きから言わせてもらうと、アボカドの食べごろを見極めるのは、とても難しい。熟れぐあいは、そっと触れて想像するしかない。人と人との関係も、またそうだ。前原君は、まだ固い実を前のめりに味わおうとしたり、せっかくのタイミングを逃したり、熟れすぎの危うさに無頓着だったりする。イタくて愛おしい数々のエピソード。でも、はじめからの達人なんて、いないのだ。人類がどんなに進化しても、アボカドは(つまり恋愛は)、食べて失敗してみないとわからない。もどかしさや切なさを感じながらも、ラストの超ささやかな笑顔から、私は温かなものを受け取った。

■山崎ナオコーラ(作家)
押し寄せてくるリアリティがすごくて、大笑いしながら観ました。みんなが送っている日常の中の、多くの人が経験する別れを描いているのに、こんなに新鮮なのはなぜなのだろう?ちょっとした仕草、画面のひとすみにも、人間の滑稽さが詰め込まれていて、ああ、人間っていいものだなあ、ついでに、若さも素敵なものだなあ、と思いました。映画という媒体の良さがすごく活かされた作品だと思います。

■MEGUMI(俳優)
ダサくて滑稽な日々。掴みたくても掴めない毎日。そんなドロっとした想いをぶつけられるのが「セリフ」なんだなぁ。それが役者って仕事なんだなぁ。

■井之脇海(俳優)
前原瑞樹に嫉妬した。彼の発する言葉や息遣い、行動の全てがドキュメンタリーでも演技でもない、新しい表現を体現していた。この映画内での彼の佇まいは、僕が目指すべき表現の一つなのかもしれない。

■冨永昌敬(映画監督)
すごい実録の実験だ。実録の「録」の規模が小さすぎるこの実録映画によって、城真也と前原瑞樹は前原瑞樹という新しい実録スターを生み出した。かつて実録レジェンド安藤昇は、アウトロー史上に名高い自身の経歴を売るようにして華々しく映画俳優に転身した。しかしそもそもが俳優である『アボカドの固さ』の主演男優は、いったい何を売ったのだろう。というか、この映画の主人公を見て面白がってる僕は何を買わされたのだろう。前原瑞樹の小物感満載かつ不敵なたたずまいと、おおぜいの(非実録の)演技巧者たちをまとめあげる城真也の演出を見ると、買ったものは案外でかいぞと思えてくる。

■三宅唱(映画監督)
待ち合わせやバイバイの瞬間が東京のあちこちで正々堂々と撮られている。出会いと別れの繰り返しを見ているうちにいろんな東京の姿が浮かび上がる。よく知っている東京、初めて目にするような東京、もう二度と見たくない東京、もう二度と見ることができない東京。もっとヌルい東京も、もっと残酷な東京も見たくなる。

■長久允(映画監督)
とにかく前原くんが、歩く。人が歩く時に僕は「自立してるなー!」と思う。雨ふり傘さし歩行ともなれば、かなり「自立」してる。そんなことを思うのは、前原くんが「赤ちゃんみたいにわがままで、人を傷つけて、で、そのくせ繊細」だからだろう。赤ちゃんみたいに見えるけど!歩いてるんだぜ!すごいんだぜ!と勝手に感動する。みたいな、余計なことを考えさせる映画っていいですよね。そんな、実在する前原くんの実在する日常。ノンフィクションフィクション。新しいし気持ちいい。あと、音楽の使い方がとても好きです。つまり好きですっ!!

■降矢聡(グッチーズ・フリースクール主宰/映画配給)
前原瑞樹のまるでジャック・ブラックを思わせるジューシーかつ柔らかな味わいを最大限引き出す城真也監督は、ネジを回すほどのささやかな所作を隠し味にして、日常にあふれている別れ話をキュッと映画へと締め上げる。

■五十嵐耕平(映画監督)
共感やリアルさではなくて、反発や拒絶、フィクションがこの映画の登場人物を救っている。だからどんなに主人公にムカついても(めちゃくちゃムカつく)、彼の生活や感情は否定したくないと思える。ひとつひとつの生を肯定しようとする眼差しに溢れている。

■吉田貴司(漫画家)
自分に興味のない女の歩き方、話し方、ご飯の食べ方。テーブルに裏返されたスマホ。それ見たことある。あーもう見たくない。はたまた、さほど好きでもない女を口説こうとする男のにやけ顔、不自然な動き、いたたまれない空気。すごい知ってる。あー、もう見たくない。もう嫌だ。見せないでくれ!!同じ体験をしたわけではないのに、なぜか蘇る記憶のあれこれ。なんだかもう生きてるの嫌になるな。そう思う。そんな中でもラストには希望とはとても呼べないほどではあるけど、小さな変化がきちんと描かれていて、「ああ見てよかったな」と思った。自分に興味ない女の子とデートしたことある男子諸君。つまり全員。必見です。あとスマホを裏返しに置いたことある女子たちにもどうか見ていただきたい。興味ないかな。

■奥山大史(映画監督)
観客をこっそりと壁の穴から覗かせるような演出によって、心地良い背徳感を覚えました。こんなにも何ともないことを何となく見続けられる映画を、他に知りません。

■高橋桐矢(作家兼占い師)
リアルすぎ。これ、演技?ドキュメンタリーじゃないの?主人公の前原君、元カノに、みっともなく取りすがり、格好つけて先輩面して友達に殴られ、知ったかぶりして死を語り、年増の風俗嬢に乳首を舐められて感じちゃったりして。イタいことこの上なし……ああ! アオハルって、痛々しくてカッコ悪くて、ほろ苦い。

■木村和平(写真家)
城監督の鋭いまなざしやある種の淡白さが作用し合い、絶妙なバランスで成立していた。事件に頼らず、こまかな感情を丁寧に、かつ大胆に並べていく。その姿勢に共感し、嫉妬した。自分が前原さんだったらどうするだろう。ここまで正直にはいられないかもしれない。まるはだかの彼に、あたらしい激励をもらった気持ちでいる。

■小谷実由(モデル)
踏んだり蹴ったりな前原くん。彼の健気で純粋なのにかっこつけようとして偏屈な感じになっちゃってるの、分厚い皮で中身がわからないアボカドみたいだなって思います。100分間、ほとんどが痛々しくて見ていられない、でもすごくわかるという時間。私も同じようなことしたことあるよ。

■加納土(ドキュメンタリー映画監督)
僕と同い年の前原君と、一杯飲みにいきたくなる。前原君の中に僕を投影して声をあげて応援したくもなる。だからこそ、僕が期待していた彼の姿とは異なることをしてくると目を背けたくなる。「別れ」は悲しい。でもそんなありふれた感情だけでこの映画はできてない。人って難しい。遠くから覗き込むようなカメラや、翻って自分に刺さってくる台詞、前原君の表情一つ一つをみるとこの映画を作った人たちは人が大好きなんだと思う。

■Rachel(chelmico)
冷蔵庫にしまってるアボカド。買ってからずいぶん時間が経ってるな。ずっとそこにあって、気づかないフリしてれば、いつまでも食べ頃な気がする。捨てるのはもったいないし、なにより、まぁるいそのブヨブヨをそっくりそのままゴミ箱に捨てたときの、誰にも見せたくない罪悪感がこびりついて離れない。記憶をそのまま触ってるような、まだそこにあるような、そんな感じの映画。

■Mamiko(chelmico)
アボカドの固さって触ってみないとわからないですよね。ちなみにわたしは触ってもわかりません。

■ヴィヴィアン佐藤(ドラァククイーン、美術家)
一見、鯨の遊具のある暗渠公園で語り合うふたり。過去に川があった跡地で、分かりもしない未来の手相を嘯く。公園とは清水緑の掌で、お釈迦さまの手のように、5年という歳月は彼女の手中にあった一瞬の夢だったのかもしれないわね。

■山中瑶子(映画監督)
前原くんが自分にとって居心地の良い後輩の前でホモソーシャルなノリをかますたび、お前なんかしみちゃんに振られて当然だ!と冷めた目で見ていた。前原くんだけが何も分かっていない。しみちゃんも、姉も、後輩たちや、デリヘル嬢だって、出てくる周囲の人たちは、みーんな前原くんをよく見ているし、知っているんだよ。前原くん、大事にされてて、なんて幸せな奴なんだろう。ムカつくなー。前原くんなんて本当はどうでもいいんだけど、アボカドを見るたびに思い出すでしょう。そんな気持ちにさせられた城監督が恐ろしいです。

『アボカドの固さ』
4月11日(土)より、ユーロスペースほか全国順次ロードショー
監督・脚本・編集:城真也
脚本:山口慎太朗 前原瑞樹
音楽:櫻木大悟(D.A.N.)
主題歌:Taiko Super Kicks「感性の網目」
出演:前原瑞樹 多賀麻美 長谷川洋子 小野寺ずる 空美 並木愛枝 兵藤公美 山口慎太朗 西上雅士 日下部一郎

【ストーリー】 ある日突然、5年付き合った恋人・清水緑(多賀麻美)に別れを告げられた俳優・前原瑞樹(前原瑞樹)。どうにかヨリを戻したい一心で、周囲に失恋相談をして回り、ひとまずは1ヶ月後に迎える25歳の誕生日まで待つと決める。しかし、待てど暮らせど緑からはなんの音沙汰もない。復縁への淡い期待を抱きながら右往左往する男の“愛と執着の30日間”。