【全文掲載】中井貴一「鳥肌立ちました」、高倉健が電話で「こらえろ」ゴビ砂漠での衝撃秘話を明かす!

MC:まずは中井貴一さん、この作品にはプロデューサーとして企画のスタートから参加されております。改めて今のお気持ちはいかがでしょうか?

中井:一番最初に立川志の輔師匠の落語を拝聴して、時代劇を残さなきゃいけないっていうことはずっと考えていたんですけど、やっぱり時代劇を残すにしても、お客さんに観ていただけないものはやっぱり駄目なので、どういうものがお客さまに観ていただけるかなということを試行錯誤している中で、志の輔師匠の落語に出会って、これはもしかしたら映像化したら楽しくご覧になっていただけるんじゃないか、楽に観て頂けるんじゃないかなと思って、師匠のところに伺って、「これを映画にさせていただけませんか?」というお話をしたところからのスタートなので。まさかその途中にコロナっていうのが来るとは思わなかったもんですから、基本的に脚本を作るだけでも4年ぐらいかかったんですが、そしてまた撮影も一年伸びるみたいなことがあったので、本当に感慨深いと言いますか、とっても胸が熱くなる思いであります。

MC:原作の「大河への道」、“大河”を違う意味で捉えていたと伺いましたが?

中井:舞台をやっている時に友人が楽屋に来てくれて、「師匠の『大河への道』っていうのが面白いよ」って聞いたんです。それで師匠と対談する機会があって、「すみませんが、そういう話を聞いたんですけれども、どこかで落語を聞けないですか?いつやりますか?」って聞いたら、「いや、ちょっとやらないです。あれは僕、命をかけてやってるんです」という答えだったんです。だから、「ごめんなさい。本当に変なことを言いました」って言って。だから「大河への道」っていうのは、日本人が中国に渡って、黄河とか長江とか、そういう大河を渡りながら日本と中国の交流を描くようなすごい壮大な話を、俺は「いつやります?」みたいな事聞いちゃったんだと思って(笑)。頭の中の妄想としては、舞台は中国だったんです。で、志の輔さんが「そこまで言うんだったら貸しましょうか?」ってDVDを貸してくれたら、「こっちの大河かよ!?」っていう感じだったんですけど(笑)、だからギャップが自分の中にあったので、これは映画化するのはタイトルと映像のギャップができて面白いかなと思いました。

MC:ただ、その大河ドラマという観点で観ても、今日ご登壇の皆様は、全員が大河ドラマに出演経験がある役者さんでいらっしゃいますけれども。松山さん、いかがでしょうか?

松山:まあ、特に大河ドラマに出てたからといって、この映画には関係ないですけど(笑)、僕も「大河への道」というのは、もっと壮大な日本人だけじゃない、人ってどうやって生きるのか、どう生きて行くべきなのか?みたいな、人生を教えてくれそうな映画というか、そういう作品だと思ったんですけど、DVDを観たら「あ、そっちね」という感じでした(笑)。

MC:北川さんはいかがでした?

北川:私は「大河への道」というタイトルを聞いて、大河ドラマだと思いました。ただ、大河ドラマが生み出されるまでの物語だと思いました。どうやって大河ドラマが生まれたか?みたいな話なのかなって思いました。全然違いましたけど(笑)。

MC:撮影現場の様子もぜひお聞かせください。中井さん、松山さん、北川さん、現代劇パートと時代劇パート、一人二役での出演でしたけれども、現場はどういった雰囲気でした?松山さん。

松山:現代劇の方は、普段から貴一さんとプライベートでもご飯食べに連れてってもらったりとか、あと現場の本番以外の部分でお話している時の雰囲気そのままなんですよね。大河ドラマでもお世話になってますし、その時から貴一さんと話してるとずっと僕、笑ってるんですよね。こんなに笑わせてくれる方って今までいなかったので、なんでこんな面白いだろうなーっていうのはずっと思ってて、色んな話を僕もしていたし、貴一さんも答えてくれるんですよね。ほとんどたいしたことない話なんですけど、貴一さんのリアクションだったりとか、話術でずっと笑ってるんですよ。その雰囲気が今回の間柄として出てましたね。だから僕、仕事した感じがしないんですよね。休みに来た感じで(笑)。

北川:本当に楽しそうでしたよ。本当に二人ともずっと笑っていて、なんか子供同士がじゃれてるみたいな。すっごい楽しそうでした。うらやましいなあと思って見てましたけど。何を話しているんだろうって思うぐらい盛り上がってました。

MC:中井さん、子供同士がじゃれてるみたいだと。

中井:うん、そんな程度だと思います(笑)。僕は、芝居をやるとき、子役と動物はとても仲良くなるので、多分本当にそういうレベルで、松山くんとはやり取りをしているという感じだと思います。