映画『騙し絵の牙』が、新型コロナウイルスの影響による公開延期を乗り越えて、3月26日より劇場のスクリーンでお披露目された。「罪の声」で知られる人気作家、塩田武士が大泉洋を“当て書き”した小説を、大泉が主演を務めて映画化。松岡茉優、宮沢氷魚、池田エライザ、斎藤工、中村倫也、佐野史郎、リリー・フランキー、塚本晋也、國村隼、木村佳乃、小林聡美、佐藤浩市といった超豪華オールスターキャストに加え、『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督がメガホンをとるということで、楽しみにしていた方も多かったことだろう。
肝心の中身も、実にスピーディでどんでん返しの連続。曲者同士の覇権争い、その状況が二転三転していくさまがハイテンポで描かれ、観る者を飽きさせない。むしろ、野心的な物語に、観客自らが脳みそをフル回転させてついていく参加型コン・ゲーム映画といえそうだ。
ネタバレ厳禁の作品であるため、詳細については本稿では触れないものの、その魅力をいくつかのポイントで紐解いていきたい。
観客を置いてけぼりにしない一級エンターテインメント
本作の舞台は、大手出版社の「薫風社」。創業一族の社長が急逝し、次期社長を巡って権力争いが勃発する、といったところから物語は始まる。改革派の専務・東松(佐藤浩市)は売り上げの厳しい雑誌を次々と廃刊候補に挙げていく。新任の編集長・速水(大泉洋)の雑誌「トリニティ」も例外ではなかった。ただ、この速水という男、飄々とした態度の裏に恐るべき野心を持った人物だった――。彼は、社内の文芸誌の編集部から新人の高野(松岡茉優)を引き抜き、人気ファッションモデルの起用や謎の新人作家のデビューといったあらゆる手を尽くして雑誌の復興に心血を注いでいく。
ざっくりとした作品の概要は、こういった流れだ。「雑誌を廃刊危機から救う」というミッションと同時並行で「次期社長をめぐる権力争い」が描かれる。このふたつが互いに影響を及ぼし合うため、リアルタイムで“戦況”が変化していくさまが面白い。
次期社長をめぐっては、専務の東松と常務の宮藤(佐野史郎)が火花を散らし、手柄を上げたい彼らの“思惑”と“意向”が、速水たちに容赦なくぶつけられる。刻一刻と変化する状況に対応しつつ、出版不況を覆すヒット企画を生み出さねばならない――。廃刊危機を救うため、速水はどうするのか? 「雑誌が売れない」という逆境は、映画の中に限った話ではなく、多くの人が知るところ。つまり、現実とリンクが張られているため、「自分だったらどんな企画を考えるだろう?」と観客が思いを巡らす構造になっている。次々と迫りくる情報を処理する「頭を使う」面白さが顕著な本作だが、我々が“参加”するべき席はちゃんと用意されているのだ。
ただ観るだけではなく、のめり込んで没入していくためには、ストーリーが興味を持てるもの、「続きが気になる」ものであることはもちろん、何かしら自分自身と共通する“必然性”が不可欠。本作はこの辺りの配分が絶妙で、自分勝手に物語を進めたり、観客を置いてけぼりにはしない。高速で疾走するが、観客と伴走する構えもきちんと見せてくれる。そうした意味で、実に純度の高いエンターテインメント作品といえるだろう。
各キャラクターの仕事に対する熱意が、勇気をくれる
ここで効いてくるのが、速水に振り回される新人編集者・高野の存在だ。独断専行の気も強い速水は敵も多く、どんどん先へ先へと突っ走っていくが、ベテランではない彼女が必死に食らいついていくなかで、少しずつヒントがこぼれ出していく。つまり、高野が観客との橋渡し役を務めているため、我々は「いま、こういう状況なのか」を逐一把握することができるのだ。このあたりは、バディものとしての黄金展開といえるだろう。
また同時に、「お仕事映画」としての魅力もにじみ始めるのが興味深い。ひとつは、速水にもまれるなかで、高野が編集者として成長していくドラマがきちんと描かれているということ。物語が始まったときは、大御所作家におべっかを使えずストレートな意見を述べて周囲を凍り付かせていたような高野が、ヒリヒリするような状況のなかで覚醒し、物語を牽引する存在へと変わっていく。
そして、速水の行動理念だ。「才能を集めれば、まだまだ雑誌だって戦える。面白ければ、目玉(の企画)は何個あったっていい」と訴える彼は、自分の損得勘定ではなく、「いいものを作りたい」という情熱のもと動く。その彼の熱意が、周囲を動かし状況を変えていくさまは、実に痛快だ。
会社や部署の方針が急に変わり、途方に暮れる経験は、社会人の多くが身にしみているものではないだろうか。理不尽に思うことも少なくないし、モチベーションが下がってしまうのも無理はない。ただ、速水たち本作のキャラクターは、決して諦めることがない。最善を尽くし、牙を研ぎ、逆境を好機に転じさせようと遮二無二動き続けるのだ。そうした姿勢は、仕事に立ち向かう勇気をも、私たちに与えてくれることだろう。
観客への“態度”すら伏線! 衝撃的な騙しのテクニック
ただ、『騙し絵の牙』の真のスゴさは、ここからだ。我々観客と肩を組み、「娯楽性の高い逆転劇」「痛快なお仕事映画」として付き合ってきたこの映画は、ある時点から本性をさらす。あれもこれもそれも「謀略」であり「仕込み」であり、「本当に考えていたことは、真実はこうでした!」と提示されたとき、観る者は思い知るだろう。この映画は「騙し絵」だったのだと――。いわば、観客に接する“態度”すら伏線であり、ダシに使う本作。詳細の説明は控えるが、「やられた! そういうことだったのか!」と天を仰ぐようなラストが、待ち受けているのだ。
速水は、薫風社で何を起こそうとしていたのか? 次期社長はいったい誰になるのか? トリニティの廃刊危機は回避できるのか? すべての疑問が解消されるとき、パズルのピースがハマるように、『騙し絵の牙』は完成する。きっと、映画が始まったときとは大きく異なる印象の作品になっているはずだ。
このとき、豪華キャストをそろえた意味が立ち上がってくるのもニクい演出だ。この作品に登場する誰もが「本当は何を考えているのかわからない」存在であることを節々で匂わせており、この出演陣は、そうした表と裏の顔を演じるに足る実力者たちだ。同時に、全ての部署に人気キャストをそろえているため、サスペンス等でありがちな「キャスト的に、この人が“犯人”だ」といううがった予測も成り立たない。ミスリードすらさせない完璧布陣で、「誰が“仕掛人”であっても、おかしくない」という状況を作り出したキャスティングの妙にも、うならされる。
親しみやすく、魅力的で、騙される興奮すら味わわせてくれる『騙し絵の牙』。映画が映画である意義と強みを、今一度感じられる快作だ。
文/SYO
『騙し絵の牙』
3月26日(金) 全国ロードショー
監督・脚本:吉田大八
原作:塩田武士「騙し絵の牙」
脚本:楠野一郎
出演:大泉洋 松岡茉優 宮沢氷魚 池田エライザ 斎藤工 中村倫也 坪倉由幸 和田聰宏 石橋けい 森優作 後藤剛範 中野英樹 赤間麻里子 山本學 佐野史郎 リリー・フランキー 塚本晋也 國村隼 木村佳乃 小林聡美 佐藤浩市
配給:松竹
【ストーリー】 大手出版社「薫風社」に激震が走る。かねてからの出版不況に加えて創業一族の社長が急逝、次期社長を巡って権力争いが勃発。専務・東松(佐藤浩市)が進める大改革で、雑誌は次々と廃刊のピンチに。会社のお荷物雑誌「トリニティ」の変わり者編集長・速水(大泉洋)も、無理難題を押し付けられて窮地に立たされる…。が、この一見頼りない男、実は笑顔の裏にとんでもない“牙”を秘めていた。嘘、裏切り、リーク、告発。クセモノ揃いの上層部・作家・同僚たちの陰謀が渦巻く中、新人編集者・高野(松岡茉優)を巻き込んだ速水の生き残りを懸けた“大逆転”の奇策とは!?
©2021「騙し絵の牙」製作委員会