第68回カンヌ国際映画祭批評家週間に出品された、双子のパレスチナ人監督タルザン&アラブ・ナサールによる初の長編映画『ガザの美容室』が、6月23日より公開となる。それに先立ち、メガホンを取ったタルザン・ナサール監督が本作についてインタビューで語った。
▲アラブ・ナサール(左)、タルザン・ナサール(右)
パレスチナ自治区ガザの小さな美容室を舞台に、戦争状態という日常をたくましく生きる13人の女性たちをワンシチュエーションで描く本作。公開まで1カ月を切った5月14日、ガザの境界付近で行われたパレスチナ人による抗議活動にイスラエル軍が発砲し、少なくとも55人が死亡、2700人余りが負傷したと報道され、2014年のガザ侵攻以来、最悪の犠牲者数となった。 本作の撮影準備をしていたのは、一般市民が2000人以上死亡した、イスラエルによるガザ侵攻が発生した2014年7月。ガザでの撮影は中止を余儀なくされ、2014年9月と10月に、ヨルダンのアンマン郊外で撮影が行われた。監督たちは映画のテーマについて考え直さざるを得なかったというが、プロジェクトを続けることにした理由について、タルザン監督はインタビューで「ガザ侵攻で人々が殺されている時に、僕らが負った責務は、彼らの人生を語ることだった。テレビやマスメディアは死を伝えるけど、日々の生活や本当の暮らしぶりには無関心だ。まるで爆撃がないガザ地区には価値がなく、重要でもなく、存在すらしていないかのように。あらゆる困難をものともせずに暮らし続ける人々を、僕らは代弁し続けなきゃならないんだ」と語っている。
■タルザン・ナサール監督 インタビュー
Q:この作品の元となったものは何ですか?
タルザン監督:ガザ国境の外の人たちの多くは、ガザ地区に住む、ごく普通の人間の暮らしを知らないんだ。僕らはみんな虐げられていると思われている。ガザ地区の女性たちは、頭からつま先までベールで覆っていて、外の世界の価値観を知らないというようなお決まりの姿で描かれる。でも他の地域の女性と同じように、彼女たちは幸せを感じたり悲しんだり、日々の問題に向き合い、恋もするし、自分の意見も持っている。僕らは、そんな人々の暮らしを映画にしたかったんだ。イスラエル・パレスチナ紛争みたいなメディアが注目するテーマを避けてね。戦争よりも暮らしを描くことがもっと大事だと僕らは信じている。世界の人々は、パレスチナ人が自分たちの暮らしよりも、苦しみを語ることを期待している。だからこそ、僕らは別の見方から描きたかったんだ。この映画では、老いること、男女の関係、愛、家族、つまりは人生というリアルな問いかけをしているんだ。
Q:いつも二人で仕事をなさっているんですか?映画製作での役割分担はどうやっているんですか?
タルザン監督:僕らはいつも一緒にやっているんだ。まず最初に、映画の基本的な芸術面と技術面の問題を話し合う。それに沿って、撮影やポストプロダクションの最中に個々のことを決めていく。僕らはお互いを補い合っている関係で、アートの共謀者なんだ。双子だから、人生のほとんどのことを一緒に体験してきたからね。映画もその中の1つさ。
Q:なぜ美容室の中の物語にしたのですか?
タルザン監督:人生で特別な意味を持つ場所だからだよ。美容室は誰もが聞き逃したくないような噂話の宝庫だからね。我々がセットで作った美容室は、僕らから見たガザの姿が色にも鏡にも、家具にも表れている。まさに崩壊しかかっている世界の片隅にある天国なんだ。また典型的な女の世界だからだ。パレスチナ人社会は家長制度だ。だけど僕らは、女性が僕らの社会で男よりも重要な役割を担っているのに、社会が彼女たちに見合う場所を与えていないと思っているんだ。だから13人の典型的な女性を一緒に集めることにした。ブルジョアの主婦、宗教的な原理主義者(敬虔なイスラム教徒)、ガザ好きが高じて住みつくことにした外国人などだ。彼女たちは美と喜びの場である美容室にいて守られていると感じているが、すぐに外の世界の現実が忍び寄ってくるんだ。
Q:女性たちは、すごくたくましそうに見えますね。
タルザン監督:実際には、彼女たちは2つの顔を持っているんだ。みんな、堅い鎧を身につけるように育てられているから、自分たちが暮らす厳しい現実に立ち向かっていける一方で、それぞれの弱い部分や悲しみをできるだけ隠している。それが人より長けている女性もいる。でも何といっても、みんな人間だ。四六時中、自分のことを話し、ものすごく気難しい客に見えても、結局、夫に暴力を振るわれていることを認めるたりするんだよ。最初は誰からも理解されない、社会の犠牲者である信心深い女性も、最後には登場人物の中で最も成熟していることが分かる。そして彼女はグループで最も機転のきく人間となり、男たちが美容室に入ってきたとき、他の女性たちを守るんだ。宗教の違いや社会的地位、政治的信条、家庭環境の違い、日頃の出来事などのテーマを使って、僕らは興味深い人物像を作り上げようとした。ガザ地区の社会の全体像を描き、そんな社会が女性の生き方にどう影響を与えているかを見せようというアイデアだった。僕らにとって、女性たちはヒーローなんだ。戦争中であっても、彼女たちは常に人生を選択している。彼女たちは命をはぐくみ、パレスチナ人のあらゆる世代を教育し続けているんだから。
Q:美容室の外は、無秩序状態ですよね。
タルザン監督:完全にね。美しさを追い求めるあの場所の外にはマフィアがいて、通りを仕切っている。あれは無秩序の象徴だ。その無秩序状態の原因は、イスラエルによる占領状態や、伝統の重さ、間違った宗教解釈、そしてハマスに関係している可能性もある。映画では、外で戦闘が起こっても、女性たちは美容室の中でメイクをしたり、髪形を整えたりしている。誰もが夜の予定に行けることを望み続けているんだ。恋人との待ち合わせや結婚式なんかをね。外の混沌が美容室に波及したら、中の女性たちがどう反応するかを見たかったんだ。事実、彼女たちは変わらず自分たちの日常を生きているわけだからね。抵抗することで自分たちの身を守っているんだ。レジスタンスは、常に身体的な抵抗を意味するとは限らない。メイクをすることやヘアスタイルについて相談することも、レジスタンスになり得るし、それが人を生きることや希望に向けさせる。美容室と外の世界を関係づけているものは愛だけなんだ。というのも、美容師の1人がマフィアのメンバーの1人と恋仲だからね。
Q:抵抗したにもかかわらず、女性たちも結局は戦いますね。
タルザン監督:美容室にいる女性たちは、いくら抵抗しても外の社会に汚染される。警察とマフィアとハマスの間にいて、彼女たちは暴力に苦しめられて、その扱いがあまりにもひどいため、最後には暴力的になるんだ。グループはバラバラになり、金持ちの主婦が(自分とは違う社会的階層の出だから)義理の娘となる女性を乱暴に攻撃したり、お客が美容師をののしったり、自分を怒らせた薬物中毒者に肉体的な暴力を加えたりする。彼女たちが最初に美容室を訪れたのは、きれいになるためだけだったんだけどね。
Q:女性たちが美容室に閉じ込められているというのは、ガザ地区の女性たちが監禁状態にあるというメタファーですか?
タルザン監督:僕たちにとって大事だったのは、登場人物たちが壁に囲まれた中に押し込められるというアイデアだった。幽閉状態というのは、次第に何かが起こる。だから映画のタイトルを『Dégradé』(フランス語で「退廃」という意味と、その名前を付けたヘアスタイルの意味がある)にした。“退廃”というアイデアは、映画のあらゆるところに埋め込まれている。ストーリーライン、照明、撮影の構図、音響、編集、美容室の外の衝撃、閉所恐怖症のような感覚、キャラクターたちが直視しなければならないジレンマなどだ。物語が進むうちに、美容室の壁が女性たちや観客に近づいてきて、彼女たちを中に閉じ込める。この抑圧的な閉鎖空間は、行くことのできない外の世界を見ているガザ地区の人間の生活を象徴している。
Q:この作品は極端に政治的とは言えませんが、女性たちがハマスに敵対心を持っているように感じます。
タルザン監督:政治的な映画は作りたくなかった。だけど美容室をはじめ、あらゆるところに、政治情勢が及んでいて、ガザ地区に住む住民全員の生活の中心を占めていることを示したかった。パレスチナ人なら、何を話し始めたとしても、最後にはいつも政治の話になってしまう。女性たちは結婚式の話や恋愛やおしゃれの話をしたいんだけど、最後にはイスラエルのことや勢力争い、そして政治の話題になってしまう。彼女たちは取り立ててハマス政府に反感を持っているわけじゃなくて、自分たちの抑圧された暮らしに反発を感じているんだ。事実、自分たちの社会のあらゆる“病癖”に対する不満を口にしている。イスラエルによる封鎖、ハマスやファタハの自治政府、社会問題、特定の伝統や風習などをね。内外の社会に対するごく一般的な批判だよ。僕らにとっては、自分たちが抱える問題を解決することもすごく重要だ。外の世界の人たちからは、イスラエル・パレスチナ紛争について話してほしいと言われるけどね。僕らはパレスチナ人同士の内部紛争について語ることで、みんなに求められていることから少し自由になろうとしたんだ。
Q:1人の女性が、自分が大統領になると言っていましたね。
タルザン監督:当然だよ。もし女性たちが要職に就けば、男たちよりもっといい仕事をするはずだ。映画では話している女性が外の銃声を聞くと、混乱の始まりだと気がつく。なぜ彼女が政府を動かしちゃいけないんだ?僕らは男社会の中で生きているけど、もっと性的に平等の社会にすべきだ。女性たちにチャンスを与えるべきだよ。
Q:映画にはユーモアが散りばめられていますね。
タルザン監督:ユーモアは極めて複雑で難しいテーマを描き出すには最良の方法だ。女性たちは全員、ユーモラスな容貌だ。ガザ地区から出るかどうか話しているときに顕著になる。ある女性が答えるんだ。「どこへ行こうっていうの?万が一、ハマスとファタハとイスラエルの検問所を通り抜けられたとしても、テロリストとして捕まえられて、刑務所に送られるのがオチよ」ってね。
Q:キャスティングはどのように行ったのですか?
タルザン監督:顔が知られていなくて、強さと弱さを表現できる複雑なパーソナリティを持った女優を起用したかった。だから5ヵ月かけて、劇場や通りを見て回ったんだ。女優陣を選んだあとは、1ヵ月半のリハーサルを行った。僕らは陳腐な決まり文句を排除して、ガザ地区で実際話されているアラビア語を使ってもらおうと思っていた。なるべく自然な演技を大事にしたかったんだ。
Q:ほとんど1部屋のセットで展開されるので、まるで舞台劇のような印象をますが。
タルザン監督:閉鎖された単体の場所で撮影するというのは冒険だった。最初から最後まで、小さな美容室で同じキャラクターがいる状態で、どうすれば観客をひきつけていられるのか?脚本を書いた段階では、舞台のステージのようなセットを考えていたんだ。撮影をしていると、出番じゃない女優も全員がいつも僕らの前にいる。だから撮影していると、ときどき舞台を撮っているような感じがしたよ。僕らはそんなアプローチで映画を撮ろうと考えていた。鏡をたくさん使って、撮り方を工夫することにして、ああなったんだ。
Q:撮影はどこで行ったんですか?
タルザン監督:ガザ地区で撮影したかったんだけど、それは不可能だった。それで2014年の9月と10月に、ヨルダンのアンマン郊外で撮影した。建物の構造がガザ地区のものとはちょっと違うんだけどね。車庫を見つけて、僕ら(撮影チーム)が動けるように移動式の壁を使って、中に自分たちで美容室のセットを作った。時間を節約するために、すべてのカメラの動きをあらかじめ決めていたよ。色に関して言えば、空の色を思わせる青い壁を象徴的な色として選んだ。
Q:撮影中の様子はいかがでした?
タルザン監督:心理的な面で、非常にキツかった。2014年7月に撮影の準備をしていたとき、ちょうどガザ地区で新たな戦闘が起きたんだ。イスラエル軍は3週間で1000人以上の一般市民を殺した。あの時点で、戦闘について語るべきか、パレスチナ人同士の抗争という僕らのテーマを続けるか選ぶことは難しかった。最終的にプロジェクトを続けることにしたのは、僕らは死ではなく人生を描きたかったからだ。ガザ侵攻で人々が殺されている時に僕らが負った責務は、彼らの人生を語ることだった。テレビやマスメディアは死を伝えるけど、日々の生活や本当の暮らしぶりには無関心だ。まるで爆撃がないガザ地区には価値がなく、重要でもなく、存在すらしていないかのように。あらゆる困難をものともせずに暮らし続ける人々を、僕らは代弁し続けなきゃならないんだ。この映画の投資家の中には、戦闘を理由に降りた人もいた。彼らは、このご時世にこの作品を理解する人間はいないと考えたんだ。僕らは5週間で撮影した。どう考えても超低予算の映画だけど、とにかく完成できたことは幸運だったよ。
Q:今、この映画をどのように見てほしいですか?
タルザン監督:観客には僕らが伝えようとしたかったことを見てほしい。何よりも「パレスチナ人の映画だから」というだけで嫌わないで、映画のクオリティを評価してほしい。いつか政治的側面が全くない映画を作れる日が来ることを願っている。映画は映画だからね。幾度となくパレスチナ人のためという“使命”というレッテルを乗り越えるのが僕らの夢なんだ。壁について何も触れないラブストーリーを作ることや、無人飛行物体(ドローン)を登場させないで人間関係を描くなどというのは、やり甲斐があるよ。いつになったら政治的な側面なしでアーティストとして仕事ができるんだろうね。それが僕らの最大の願いだよ。
『ガザの美容室』
6月23日(土)より、アップリンク渋谷、新宿シネマカリテほか全国順次公開
監督・脚本:タルザン&アラブ・ナサール
出演:ヒアム・アッバス マイサ・アブドゥ・エルハディ マナル・アワド ダイナ・シバー ミルナ・サカラ ヴィクトリア・バリツカ
配給:アップリンク
【ストーリー】 パレスチナ自治区、ガザ。クリスティンが経営する美容院は、女性客でにぎわっている。離婚調停中の主婦、ヒジャブを被った信心深い女性、結婚を控えた若い娘、出産間近の妊婦。皆それぞれ四方山話に興じ、午後の時間を過ごしていた。しかし通りの向こうで銃が発砲され、美容室は戦火の中に取り残される―。極限状態の中、女性たちは平静を装うも、マニキュアを塗る手が震え、小さな美容室の中で諍いが始まる。すると1人の女性が言う。「私たちが争ったら、外の男たちと同じじゃない」。いつでも戦争をするのは男たちで、オシャレをする、メイクをする、たわいないおしゃべりを、たわいない毎日を送る。それこそが、彼女たちの抵抗なのだ。