沖縄最古の映画館として2022年に72年間の営業に幕を下ろした首里劇場の最期を、沖縄を代表する写真家・石川真生が撮影する姿を追ったドキュメンタリー映画『劇場が終わるとき』が、2025年初春より公開されることが決定した。併せて、予告編とポスタービジュアルが披露された。
本作は、戦後復興の時代に建てられ、2022年4月に経営者である館長の急逝によって72年の歴史に幕を下ろした映画館・首里劇場を、沖縄を代表する写真家で、まもなく公開される『オキナワより愛を込めて』でも話題の写真家・石川真生が、劇場の持つ風格、わびしさ、染みついた歴史を記録で残そうと写真を撮影。石川が老いと病を抱えながら撮影する様を、本作監督の真喜屋力が追いかけるドキュメンタリー映画である。
急逝した金城政則館長の甥からは、家族で経営する劇場の思い出が語られる他、幼少より首里劇場を知るNPO法人シネマラボ突貫小僧代表の平良竜次、かつて上映された成人映画にも出演していた女優・ほたる、元映写技師のミュージシャン・とんちピクルス松浦浩司などが、それぞれの首里劇場への想いを語る他、石川真生の作品『大琉球写真絵巻』のモデルだったストリッパーの牧瀬茜も姿を見せる。
監督は、1992年公開のオムニバス映画『パイナップルツアーズ』の一話を監督し、その後東京のミニシアターBOX東中野(現ポレポレ東中野)や、沖縄で桜坂劇場の立ち上げにも参加し、興業、宣伝の立場からも映画に関わってきた真喜屋力。本作が長編作品としては初監督となる。
▼推奨コメント
■池澤夏樹(作家)
みなの記憶の器だったこの劇場が無に返ってゆく姿は美しいそして、それを撮る石川真生は更に美しい
■三上智恵(映画監督)
石川真生さんと牧瀬茜さんが起こした奇跡のレクイエム。そんな瞬間が首里劇場のフィナーレにあって本当に良かったと、この劇場に染みついた記憶たちと共に、私も喜ぶことができたそんな不思議な時間でした。
■タテタカコ(ミュージシャン)
出会えなかったという出会い真喜屋力監督さんと、写真家の石川真生さんのお二人の目を通して、伺うことのできなかった首里劇場の映画館の匂い、椅子の座り心地、映画を上映していた時の風景をたずねるような気持ちになりました。今、現在、全国に残っていて、厳しい状況の中でも絶やさず上映を続けてくださっている映画館へ想いを馳せる時間にもなりました。
■荒木太郎(映画監督)
私も老いを感じながらどう仕事に向き合うかという時期に来ているので、石川さんの身体の痛さを抱えながら被写体に立ち向かう姿、廃棄される首里劇場、ギリギリまで小屋を守っていた館長に思いを馳せて観ることが出来ました。甥の裕太さんの話しは心打つもので、改めて永年親しくして頂いた金城館長を知る喜びを感じました。なかでも成人映画を家業として上映して下さったという話は、作品を作っていた私も身内にして下さっていたのかとも勝手に思い嬉しかったです。牧瀬茜さんの登場はサプライズでした。個人的には共演もしたこともあり、新宿ベルクでのミニライブでも拝見したことのある牧瀬さん。今回滅びゆくものの重要な中で作品に美しい裸体で光を当てて下さりました。それを体力の限界を超えてまで撮っていたのが石川さん、、。感動的でした。
■牧瀬茜(出演者・踊り子)
私は長くストリップ劇場で働く中で、摘発で営業停止となったストリップ劇場、閉館するストリップ劇場、廃墟となった、また取り壊されていくストリップ劇場を見てきました。劇場という場所は、興行がないと死んだように眠ってしまう。人が集ってはじめて生きる場所だとつくづく感じてきました。解体前の一年と少しゆっくり朽ちていく首里劇場を折々に見ながら、私は、今はもう記憶にしかない消えていったストリップ劇場を重ねていました。死ぬまで首里劇場と生きた館長さんと、死ぬまで撮り続けるだろう真生さん……いや、もしかしたら、撮っていないと死んでしまうのではないかと思える真生さんとが交わるこの作品。私も死ぬまで踊り続けたい脱ぎ続けたいと思いながら、この作品に交れたことに感謝します。
『劇場が終わるとき』
2025年初春より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
監督・製作・撮影・編集:真喜屋力
出演:石川真生 金城政則 牧瀬茜 ほたる とんちピクルス 平良竜次 佐久田立々夏 金城裕太 仲田幸子 仲田まさえ
ナレーション:木村あさぎ
配給:ムービー・アクト・プロジェクト
【ストーリー】 1950年に建てられ、地域文化の中心として活躍した首里劇場。やがて映画が斜陽産業となり、成人映画専門館となる。三代目館長の金城政則はそんな老朽化した映画館を引き継ぎ、20年近く守り続け、2021年に名画座へと転身するが、その翌年に癌のために急逝。劇場は閉館となり、戦前の劇場様式を引き継ぐ首里劇場は、まるでゴシック建築の幽霊屋敷のような風格を帯びながら、解体の日を静かに待っていた。そんな中、写真家の石川真生は、閉ざされた劇場に足を踏み入れる。老いと病を抱えながらも、精力的に建物に染みついた、人々の記憶や気配をフィルムに焼き付けようと試行錯誤を繰り返す。また館長の甥からは、家族で経営する劇場の思い出が語られていく。華やかなころの首里劇場ではなく、成人映画館を営む、とある家族の記憶。他にも様々な人々が訪れ、それぞれの人生の中にある“劇場”が、消えゆく劇場の中で語られる。廃虚のような首里劇場を舞台に、生きることの切なさ、たくましさを、人間くさいユーモアとともに人々が伝える中、解体の日が近づいてくる。