「キノコ雲は我らが誇り」原爆を作るために生まれた町の歴史と現在『リッチランド』7月公開!

第二次世界大戦下のアメリカ、マンハッタン計画のもとで生まれた町の知られざる歴史と現在を描いたドキュメンタリー映画『リッチランド』が、7月6日より公開されることが決定した。併せて、ポスタービジュアルが披露された。

平和で美しいアメリカの典型的な郊外の町、ワシントン州南部にあるリッチランド。人々は町を愛し、隣人を愛し、仕事に誇りを持って暮らしている。応援する地元高校のフットボールチームのトレードマークは「キノコ雲」と「B29爆撃機」、チーム名は「リッチランド・ボマーズ」。そう、リッチランドは、1942年からのマンハッタン計画における核燃料生産拠点「ハンフォード・サイト」で働く人々とその家族が生活するために作られた町なのだ。1945年8月9日、長崎に落とされた「ファットマン」のプルトニウムはハンフォード・サイトで精製されたものだった。終戦後は冷戦時に数多く作られた核兵器の原料生産も担い、稼働終了した現在はマンハッタン計画に関連する研究施設群として国立歴史公園に指定され、アメリカの栄光の歴史を垣間見ようと多くの観光客が訪れている。

リッチランド高校の「キノコ雲」は町のいたるところで掲げられ、「原爆は戦争の早期終結を促した」と誇りを口にする人々。一方で「川の魚は食べない」と語る者たちは、核廃棄物による放射能汚染への不安を今も抱えながら暮らしている。町の歴史を誇りに思う者がいる一方で、多くの人々を殺戮した“原爆”に関与したことに逡巡する者もいる。そしてまた「ハンフォード・サイト」自体、ネイティブアメリカンから“奪った”土地だったのだ。様々な声が行き交う中で、被爆3世であるアーティスト・川野ゆきよがリッチランドを訪れ、町の人々との対話を試みるのだが…。

多くの犠牲のもとで、多くの命を奪い、存在そのものが人類の脅威となってしまった“原爆”。『オッペンハイマー』のその後、アメリカは“原爆”とどう向き合ってきたのか?その罪と痛みを背負うのは誰なのか?近代アメリカの精神性、そして科学の進歩がもたらした、人類の“業”が重層的に浮かび上がる叙事詩的ドキュメンタリー。

『リッチランド』
2024年7月6日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督:アイリーン・ルスティック
配給:ノンデライコ

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