寺田農「武田家全国制覇の夢を500年後の今、この作品のヒットで叶えたい」『信虎』予告編&ポスタービジュアル

『天空の城ラピュタ』ムスカ大佐の声優で知られる寺田農の36年ぶりの主演作、そして隆大介の遺作で、武田信玄の父であり、甲府を開府した信虎の晩年を描いた映画『信虎』が、11月12日より公開される。このほど、本作の予告編とポスタービジュアルがお披露目となり、併せて、主演の寺田農、歴史学者の小和田哲男、作家の伊東潤よりコメントが寄せられた。

戦国の名将・武田信玄の父・信虎は、信玄によって追放され、駿河を経て京に住み、足利将軍の奉公衆となる。追放より30年の時が流れた元亀4年(1573)、信玄が危篤に陥ったことを知った信虎は、再び武田家にて復権するため甲斐への帰国を試みるも、信濃において勝頼とその寵臣に阻まれる。信虎は、信長との決戦にはやる勝頼の暴走を止められるのか。齢80の「虎」が、武田家存続のため最後の知略を巡らせる…。

予告編では、信虎の晩年の苦悩と挑戦が、音楽・池辺晋一郎の荘厳な音楽が鳴り響く中で映し出される。

ポスタービジュアルは、豪華キャストの真ん中で信虎役の寺田農が刀を掲げる力強い姿が印象的だ。

■寺田農(武田信虎役) コメント
喜寿を迎えた一昨年、このお話を頂きました。舞台はわたしの大好きな戦国時代、まだまだ日本人が荒ぶる魂と誇りを持っていた時代でもあります。所縁の寺々での撮影、国の重文指定の「信虎像」をはじめ、太刀、甲冑、茶器すべて本物の美術調度品がずっしりと重厚感をもたらし、親しい池辺晋一郎さんの荘厳な音楽が華を添えてくれます。「信虎・信玄・勝頼」三代が成し遂げ得なかった武田家全国制覇の夢を500年後の今、この作品のヒットで叶えたいものです。

■小和田哲男(歴史学者) コメント
信虎目線でみごとに描ききった武田盛衰記。ふつう、武田信虎というと、悪逆無道の行為が行きすぎ、息子信玄によって駿河に追放されたみじめな武将といったイメージでとらえられている。しかも、身柄引き取り手だった今川義元が桶狭間で織田信長に討たれると、駿河にも居られず、上京し、高野山や西国を遍歴・流浪し、最後は、信濃高遠でひっそり生涯を閉じたとされている。甲斐から駿河へ追放された後は、その存在感は無きに等しい生涯だったというのが通説である。ところが、今回の「信虎」はそうした通説を打破しようとする。その手がかりとなっているのが、永禄6年(1563)頃、信虎が京に上り、第13代将軍足利義輝の相伴衆(しょうばんしゅう)になっていることである。相伴衆というのは、将軍が諸大名を饗応するときに相伴を許される人のことで、それ相応の身分の出でないと務まらない。信虎は、戦国大名武田家の当主だった経歴をもっているわけで、将軍からも一目置かれる存在であった。ただ、その後の信虎についてはほとんど史料がなく、信長の台頭にどう対処しようとしていたのかもわからない。どこまでが史実で、どこからがフィクションなのかがわからない演出はみごとというしかない。いずれにせよ、信虎の目線で、戦国大名武田家の盛衰が一本の筋となり、信玄死後の勝頼の葛藤、家臣たちの動向など、戦国大名武田家の物語というだけでなく、戦国時代の人間模様をみごとに描ききった作品である。

■伊東潤(作家) コメント
最高の演技陣に美しいカメラワーク—令和の戦国映画はこれだ!戦国時代最強を謳われた甲州武田軍団は、信玄没後も勝頼と信玄の遺臣たちを中心に鉄壁の強さを維持していた。天正二年(1574)、そこに一人の男が帰還する(厳密には信濃国までやってくる)。かつて息子の信玄に甲斐国を追放された元国主の信虎だ。信虎は齢八十一ながら、いまだ天下制覇の野心を秘めていた。かくして武田家中にもたらされた一つの波紋は、人々の運命をも変えていく。この小さな事件に目を止めたのは、制作陣の慧眼の成せる業だろう。武田家滅亡という一大事件を描いていくには、劇場用映画の上映時間はあまりに短い。そうなると誰かの視点に絞らねばならない。その点、追放後も駿河国から畿内周辺諸国を股にかけて不穏な動きを続けた信虎の視点から武田家滅亡という一大叙事詩を描いたのは正解だった。甲斐国の統一、関東や信濃国への侵攻と特定地域の制圧という実績を挙げた信虎は、戦国時代の東国に波乱を起こした風雲児だった。しかし足元をすくわれるように、実の息子である信玄に追放される。それでも野心を捨てなかった信虎は、信玄が没したという噂を聞いて帰還する(本作では高遠城で信玄の死を知る)。この信虎の帰還という小さな波紋が、武田家の人々の心に何らかの影響をもたらしていく。劇中では、それを妙見信仰による魔力というメタファーで表現しているが、武田家中に落とした信虎の影は次第に大きなものになっていった。やがてそれは、跡部勝資や長坂釣閑斎といった勝頼の側近たちと山県昌景や春日虎綱といった信玄股肱の重臣たちとの間の亀裂となり、それが長篠の戦いでの惨敗、そして武田家滅亡へと結びついていくことを暗示している。信虎とは何者だったのか。その帰還によって起こった波紋とはどのようなものだったのか、ぜひ映画を見て考えてほしい。

『信虎』
10月22日(金)より、TOHOシネマズ 甲府にて先行公開
11月12日(金)より、TOHOシネマズ 日本橋・梅田ほか全国公開
監督:金子修介
共同監督・脚本:宮下玄覇
音楽:池辺晋一郎
出演:寺田農 谷村美月 矢野聖人 荒井敦史 榎木孝明 永島敏行 渡辺裕之 隆大介 石垣佑磨 杉浦太陽 葛山信吾 嘉門タツオ 左伴彩佳(AKB48) 柏原収史 伊藤洋三郎 川野太郎 螢雪次朗 安藤一夫 堀内正美 永倉大輔 井田國彦 橋本一郎 剛たつひと 西川可奈子 鳥越壮真 北岡龍貴 外波山文明 水島涼太 大八木凱斗 井藤瞬 森本のぶ 奥山眞佐子 小堀正博
配給:彩プロ

【ストーリー】 元禄14年(1701)、甲斐武田家の一族で、五代将軍徳川綱吉の側用人・柳澤保明(後の吉保、柏原収史)は、四男坊・横手伊織(鳥越壮真)に、祖父と交流のあった武田信虎入道(寺田農)の晩年の活躍を語る。信虎は息子・信玄(永島敏行)に甲斐国を追放された後、駿河を経て京で足利将軍に仕えていた。元亀4年(1573)、すでに80歳になっていた信虎は、信長包囲網を形成し上洛を開始した信玄の上洛を心待ちにしていたが、信玄が危篤に陥り、武田軍が兵を引いたことを知る。甲斐国の国主に返り咲く好機と考えた信虎は、家老の土屋伝助(隆大介)と清水式部丞(伊藤洋三郎)、末娘のお直(谷村美月)、側近の黒川新助(矢野聖人)、海賊衆、透破(忍者)、愛猿・勿来(なこそ)などを伴い、祖国・甲斐への帰国を目指す。途中、美濃での激しい合戦を乗り越えて、やっとの思いで信濃高遠城にたどり着いた信虎は、六男・武田逍遥軒(永島敏行・二役)に甲斐入国を拒まれる。信玄が他界し、勝頼が当主の座についたことを知った信虎は、勝頼(荒井敦史)との面会を切望する。そして3カ月後、ついに勝頼が高遠城に姿を現す。勝頼をはじめ、信虎の子・逍遥軒と一条信龍(杉浦太陽)、勝頼の取次役・跡部勝資(安藤一夫)と長坂釣閑斎(堀内正美)、信玄が育てた宿老たち、山県昌景(葛山信吾)・馬場信春(永倉大輔)・内藤昌秀(井田國彦)・春日弾正(川野太郎)が一堂に会することになる。信虎は居並ぶ宿老たちに、自分が国主に返り咲くことが武田家を存続させる道であることを説くが、織田との決戦にはやる勝頼と、跡部・長坂ら寵臣に却下される。これが『甲陽軍鑑』に描かれた名場面である。自らの無力さを思い知らされた信虎は、かつて信直(石垣佑磨)と名乗っていた頃に、身延山久遠寺の日伝上人(螢雪次朗)から言われたことを思い出し、仏門に帰依する。その後、信虎は上杉謙信(榎木孝明)・北条国王(氏直)らに後事を託し、娘のお直とお弌(左伴彩佳)や旧臣・孕石源右衛門尉(剛たつひと)たちに看取られて大往生を遂げる。その後、勝頼の失政が続き、天正10年(1582)、織田信長(渡辺裕之)による武田攻めによって一門の木曽義昌ほか穴山信君(橋本一郎)が謀叛を起こし、勝頼は討死、妻の北の方(西川可奈子)も殉じ、武田家は滅亡する。以前、武田家臣・安左衛門尉(嘉門タツオ)が受けた神託が現実のものとなった。その時から信虎の秘策が次々と奇跡を起こす。信虎に翻弄された娘・お直や家臣たちの運命はいかに…。

©ミヤオビピクチャーズ