世界中に熱狂的ファンを持つ作家・村上春樹が2013年に発表した短編小説を、『ハッピーアワー』、『寝ても覚めても』の濱口竜介監督が、西島秀俊主演、三浦透子共演で映画化し、第 74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で日本映画史上初となる脚本賞ほか全4冠に輝いた『ドライブ・マイ・カー』が、8月20日より公開される。このほど、各界著名人より本作を絶賛するコメントが寄せられた。
本作は、妻を失い、喪失感のなかで生きる舞台俳優の家福(かふく)と、寡黙な専属ドライバーみさきの孤独な二人が、愛車サーブを通して出会い、一筋の希望にたどり着くまでを描く、心揺さぶる物語。
▼著名人 絶賛コメント
■隈研吾(建築家、東京大学特別教授・名誉教授)
逃げずに、向き合わなくてはいけないというメッセージが、赤いサーブの美しいエンジン音と共に、今でも僕の車の中に響き続けている。
■岩松了(劇作家・演出家)
人はなぜ物語を求めるのかを問うその動機が知りたきゃ走る車に乗ってみろと言われてるようなそんな素敵な『ドライブ・マイ・カー』!!
■黒沢清(映画監督)
サーブの切り立ったフロント・ウィンドウが、身悶えしながら次々とトンネルに吸い込まれていく。それは西島秀俊のたどる過酷な運命そのものだ。こんな自動車映画いまだかつて見たことがない。
■ポン・ジュノ(映画監督)
濱口竜介監督は、最近の日本やアジアにおいて、非常に稀有な監督だ。執拗に、粘り強く、決して焦ることなく、着実に自身が伝えようとするところに辿り着く。どれだけ時間がかかったとしても。そんな怪物のような強靭さを備えている。『寝ても覚めても』の時から既に巨匠の領域に入っていたが、その巨匠の領域を証明した映画が『ドライブ・マイ・カー』だ。
■前川知大(劇作家・演出家)
濱口監督の映画は、迫力がある。慌てず急がず、丁寧に、紡ぐように語るのに、妙な迫力がある。それが三時間続く。いつの間にか、他者という謎と、自分という謎についての気付きが、心の深いところに芽生えていた。反芻しがいのある、すごい映画だ。
■藤田貴大(演劇作家)
見立てられたイメージによって、疾走と失速を同時に見た。初めての体験だった。わたしたちは飛ぶこともできるが、思考のなかで立ち止まることもできる。そして、それらはすべて音の残像と余韻に含まれるものだった。
■浦雅春(ロシア文学者)
傷ついたふたつの魂の浄化と再生の物語。「生き残った者は、死んだ者のことを考えつづける…ぼくや君はそうやって生きて行かなくてはいけない」。終幕近くに置かれた主人公のことばが胸に迫る。全編をとおして木魂しているのは、チェーホフの芝居「ワーニャ伯父さん」だ。「あたしたちは苦しみました、泣きました、つらかった」、そんなソーニャの台詞がリフレーンのように観る者の心のひだに波紋を広げてゆく。静かに、しかし深く…。これは映画史上にも刮目すべきチェーホフ劇として記憶されるだろう。
■坂本美雨(ミュージシャン)
静けさの果てに人の本当の心が溢れ出す瞬間は時が止まったように美しく、思わず、息を止めていた。
■瀬戸康史(俳優)
男性と女性。同じ人間なのに生き物としてこんなにも違うのですね。そして、そこに「演技」というエッセンスが入ることで、登場人物たちの本心はどこ?と惑わされる。そこが観ていて可笑しい。濱口組で過ごした時間を懐かしく思いました。
■遠野遥(作家)
死者の言葉が現在を生きる登場人物たちの物語と交錯し、作品に奥行きを与えている。
■夏目知幸(ミュージシャン)
喋るほどに空っぽな入れ物になる大人たち。車や子供やオバケたちが、まったくけしからん!と彼らの周りを駆ける。
■門間雄介(ライター・編集者)
知りたい、わからない、それでも知りたい。人と人とが理解しあうこと、つながりあうことはとても困難だけど、ここにはその可能性を示す道筋がまざまざと記録されている。声や語りや芝居の力によって。驚きを抑えられない。
■伊藤さとり(映画パーソナリティ)
これは、映画史に残るオープニング。どの俳優にとっても代表作であり濱口竜介監督でなければ達成できない最高傑作を、私は一生忘れないだろう。
■小川知子(ライター・編集者)
同じ言葉を使っていても人と人の間にわからなさはあって、それでも話し、聞くことでその隔たりを乗り越えていく、という希望を見た。
■森直人(映画評論家)
これほど緊張感がみなぎる映画には久々に出会った。プロデュースワークと作家性。多声的なテクストの衝突と、融和の可能性。あらゆる意味で『戦メリ』(大島渚)を感じる。筆者はこういう闘い方が大好きだ。
■SYO(映画ライター)
静謐な作品に見せかけているが、精緻な脚本と隙の無い演出、内面に潜る演技でするりと観る者の心に“合流”し、生の感情を引きずり出す。「乗せられている」ことすら気づかせない神業に、ただただ震え、敬服した。この傑作が往く道は、きっと世界に直結している。
■松崎健夫(映画評論家)
これは、世界も認める人間賛歌を描いた正真正銘の濱口竜介監督作品だ。
■中井圭(映画解説者)
チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を劇中劇として抱える本作は、劇内外の物語が共振して葛藤の深度を増していく。村上春樹の短編を再構築し、埋もれた救いを形にする旅に出た濱口竜介の道程には、聖なる赤い箱に身を委ねた巡礼の、静かな温もりが確かにある。
■立田敦子(映画ジャーナリスト)
張り詰めたスクリーンの静寂に、彼らの心の声が聞こえるのではないかと息を詰めて見入ってしまう。小説ではできない映画表現を最高のカタチで実現した。この旅は映画館の大スクリーンでなければ体験できない。
■後藤岳史(映画ライター)
ともに怒りや痛みを受け流してきた空洞を抱え、ともに身近な存在を殺めたのでは?という強迫観念を抱えている。舞台演出家の家福と雇われドライバーのみさきは似たもの同士だ。ふたりの共有空間の赤い車がまがまがしく変質するせつな、一発の銃声の反響が劇中劇の『ワーニャ伯父さん』を招き寄せ、ワーニャと家福が、そしてワーニャの妹ソーニャとみさきが、火影が揺れるように観るものの胸中で呼応し合う。ワーニャの肩口からソーニャが波動を放つ「長台詞」の場は、村上春樹の短篇が書かずにいた家福とみさきの行く末をも想わせ、怒りや痛みを胸元で濾過したような、清浄・崇高の時空となる。
『ドライブ・マイ・カー』
8月20日(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
監督・脚本:濱口竜介
プロデューサー:山本晃久
原作:村上春樹「ドライブ・マイ・カー」
出演:西島秀俊 三浦透子 霧島れいか パク・ユリム ジン・デヨン ソニア・ユアン ペリー・ディゾン アン・フィテ 安部聡子 岡田将生
配給:ビターズ・エンド
【ストーリー】 舞台俳優であり、演出家の家福悠介(西島秀俊)。彼は、脚本家の妻・音(霧島れいか)と満ち足りた日々を送っていた。しかし、妻はある秘密を残したまま突然この世からいなくなってしまう…。2年後、演劇祭で演出を任されることになった家福は、愛車のサーブで広島へと向かう。そこで出会ったのは、寡黙な専属ドライバーみさき(三浦透子)だった。喪失感を抱えたまま生きる家福は、みさきと過ごすなか、それまで目を背けていたあることに気づかされていく…。
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会