芥川賞と文藝賞をダブル受賞した若竹千佐子のベストセラー小説を、田中裕子が15年ぶりとなる主演をし、蒼井優が共演する、沖田修一監督作『おらおらでひとりいぐも』が、11月6日より公開される。このほど、田中演じる桃子さんの頭の中で繰り広げられる“歌謡ショー”シーンと、オールキャスト揃い踏みの賑やかなパレードシーンの撮影の裏側が明らかとなり、併せて、メイキング写真がお披露目となった。
■飯能・能仁寺でのロケ(11月21日)
クランクインから、ちょうど10日が経った2019年11月21日。沖田組は関東圏のお寺でロケを行っていた。雲ひとつない秋晴れのロケ日和、撮り進められていったのは、田中裕子が演じる主人公の「桃子さん」が亡き夫・周造のお墓参りに訪れる一連のシーン。汗ばむくらいの陽気の中、沖田修一監督をはじめスタッフ陣はキビキビと動き回り、準備を整えていく。
冬至まで約1ヶ月、17時ごろには陽が沈んでしまうことと撮るべきカット数を考えると、言うまでもなく悠長には構えていられない。しかも、この日は墓地へと一人歩いていく桃子さんの点描的なカットのみならず、若き日の周造や幼いころの子供たち、そして桃子さんの心の声を擬人化した“寂しさ”や“さとり”たちが合流して(※彼らの姿は桃子さんにしか見えず、他者には存在を感じることができない)パレードのように練り歩く、オールスターキャストでのファンタジックなシーンが控えている。加えて日没間際には、現在と若い頃、そして少女時代の“3人の桃子”が広がる夕景を前にそろい踏みするショットを撮る、というミッションもあるということで、空が茜色に染まるまでの間にすべからく撮影を進めていく必要があった。
しかし、スケジュール的にはタイトなはずなのに、不思議なくらい現場に流れる空気が穏やかに感じられる。これぞ、どんな時や状況でも声を荒げることがない監督の温和な人柄が反映された、沖田組ならではの雰囲気。それでいて、各セクションがしっかりとプロの仕事をする。かくして、ロケは小気味よく進行していった。
田中が一人で歩くシーンから一転、大勢での行進の撮影ではキャストも増えて現場がにぎやかに。周造役の東出昌大をはじめ、桃子さんの分身的存在である「寂しさ」1・2・3を演じる濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎、彼らとは異なる諦念的な感情が分身となった「どうせ」役の六角精児、「ばっちゃ(桃子の祖母)」役の大方斐紗子、そして子役たちが一堂に会するということで、衣装部とヘアメイクチームは大わらわだが、やはりどこか和やかなのは、さすが沖田組と言ったところ。また、出番は夕方からだったが、若き桃子役の蒼井優もすでに現場入りして、一部始終を見守っている。そんな中、沖田監督が「ここでは桃子さんを、みなさんが一緒になって『がんばれ~っ』と応援するような感じにしたいです」と演出意図を伝え、段取りからカメラテストへ。「寂しさ」トリオが桃子さんの背中を押したり掛け声をかけたり、六角と大方も息を弾ませながら坂道を歩いては「ホレ、ホ~レ」と場を盛り上げるさまを、沖田監督が目を細めて楽しそうに見つめている。途中、楽器の音が出なくなるといった小さなトラブルもあったが、無事に撮り切って次なるシーンへ。
続いては、周造の墓前に“3人の桃子”が並び、夕焼けを見つめる情緒的なシーン。陽は刻一刻と傾く日没間近、辺りが暗くなるにつれ小高い丘の墓地に吹く風の冷たさが身に染みてくる。それでも蒼井は自身の出番がない時間も現場に残り、田中の一挙手一投足を目で追う。あたかも、その動きや仕草を焼きつけようとしているかのように…。そして迎えたラストカット、3人の桃子が同じタイミングで夕陽の方へ振り向く芝居に、沖田監督の「OKです!」の声が響く。空を見ると、少しずつ星がまたたき始めていた。
■横浜 クリフサイドロケ(12 月3日)
お寺でのロケから2週間近くが経ち、撮影も終盤へ。この日は横浜元町の老舗ダンスホールを借り切って撮影が行われた。人生に大切なのは自由か、愛か?桃子さんの自問自答が妄想となってふくらみ、居間の襖を開けた先の“脳内コンサート会場”で丁々発止に発展していくシークエンスは、映画版の本作ならではの見せ場のひとつ。バックバンドを従えて、50~60人ほどの観客を前に周造との永遠の別れに対して抱いた思いを歌いあげる(※歌のタイトルは「くそ周造」)桃子さんの姿は、さながらリサイタルのよう。その美声に聴き惚れていたのもつかの間、一人の客のヤジによって会場の雰囲気が一変。桃子さん擁護派対非難派が揉み合い、警備員に扮した「寂しさ」トリオが止めに入る…といった展開を見せていくのだが、若干いつもの沖田組よりもテイクを重ねたのが、客の投げたペットボトルが桃子さんの額に当たるカットだ。
実はこの撮影でフレーム外からペットボトルを投げているのは、誰あろう沖田監督。もちろん中身は空っぽで当たっても痛くはないのだが、芝居と言えども日本を代表する女優の顔に物を投げるとなると、気が引けてしまう。ということで“大役”を引き受けた監督だったが、これがなかなか狙い通りに当たらない。田中の頭上では「寂しさ」トリオが紙吹雪を散らしているので、撮り直すたびに一度それを回収しなければならず…沖田監督にも次第にプレッシャーが掛かり始める。その場で素振りを始めた監督に、田中が「思いきり当てちゃってください」と気づかいを見せると、その直後のテイクで会心のヒット。モニターチェックでもOKが出て、観客席のエキストラ陣からは拍手が起こった。
なお、特に印象的だったのは、意見が二分して揉み合いになる観客たちに、桃子さんが切々と正直な思いを語るシーンでの出来事だ。長ゼリフを話している最中に、予定よりも早いタイミングでヤジが飛ぶも、田中は桃子さんとしてそれを受け止め、「まだ(話し)終わっでねえ!」と一喝。すぐさま、続きのセリフを話し始めるという、ともすればカットがかかりそうなハプニングを、見事なまでのリアクションで一連の芝居に取り込んでみせたのだ。本編では違うテイクが使われていたが、田中裕子という女優の凄みを改めて実感した現場での1コマであった。
メイキング写真には、田中裕子、蒼井優という稀代の演技派女優を和やかに演出する監督の様子や、揃いの衣装で前を向く寂しさ役の3人、濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎のユーモラスな姿などが収められる。
『おらおらでひとりいぐも』
11月6日(金) 全国公開
監督・脚本:沖田修一
原作:若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」
音楽:鈴木正人
主題歌:ハナレグミ「賑やかな日々」
出演:田中裕子 蒼井優 東出昌大 濱田岳 青木崇高 宮藤官九郎 田畑智子 黒田大輔 山中崇 岡山天音 三浦透子 六角精児 大方斐紗子 鷲尾真知子
配給:アスミック・エース
【ストーリー】 1964年、日本中に響き渡るファンファーレに押し出されるように故郷を飛び出し、上京した桃子さん(田中裕子)。あれから55年。結婚し子供を育て、夫と二人の平穏な日常になると思っていた矢先…突然夫に先立たれ、ひとり孤独な日々を送ることに。図書館で本を借り、病院へ行き、46億年の歴史ノートを作る毎日。しかし、ある時、桃子さんの“心の声=寂しさたち”が、音楽に乗せて内から外から湧き上がってきた。孤独の先で新しい世界を見つけた桃子さんの、ささやかで壮大な一年の物語。
© 2020「おらおらでひとりいぐも」製作委員会