詩人・吉増剛造らから激賞されたデビュー作『ひとつの歌』以来となる杉田協士監督の7年ぶりの長編映画で、北村美岬、伊東茄那、笠島智、並木愛枝の4人の女性が主演を務めた『ひかりの歌』が1月12日より公開される。このほど、1月13日から22日にかけて本作の公開を記念したトークイベントが渋谷・ユーロスペースにて開催されることが決定し、併せて各界著名人より本作を絶賛するコメントが寄せられた。
本作は、歌人の枡野浩一と映画監督の杉田協士が、映画化を前提に開催した「光」をテーマにした短歌コンテストで1200首のなかから選出した4首の短歌を原作とする、それぞれ孤独のなかを生きる4人の女性の物語。昨年の第30回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門でのワールドプレミアを経て、第19回全州国際映画祭ワールドシネマスケープ部門にも出品された。
各章の主人公として、北村美岬、伊東茄那、笠島智、並木愛枝が出演しているほか、映像制作ユニット「群青いろ」の廣末哲万、劇団「FUKAIPRODUCE 羽衣」のメンバーである日髙啓介、『川越街道』の金子岳憲らが脇を支え、さらに、杉田監督と交流のあったマレーシアを代表する劇作家であるリャオ・プェイティンも出演。撮影は、佐藤真に師事し、ドキュメンタリーやフィクションを自由に横断しながら活動をつづける飯岡幸子。音楽は「Nibrolll」のメンバーであるスカンク/SKANKが務める。
公開記念連日アフタートークイベントは、13日より渋谷・ユーロスペースにて19:00の回上映後に開催され、連日ゲストを迎えて杉田協士監督と対談する。チケットは、上映日の3日前より劇場公式サイトにて販売開始される。
■初日舞台挨拶&公開記念連日アフタートークイベント ラインナップ第1弾
1月12日(土)監督、キャストによる初日舞台挨拶 ※19:00の回上映前
1月13日(日)ゲスト:清原惟(映画監督)
1月14日(月)ゲスト:歌川たいじ(小説家・漫画家)
1月15日(火)ゲスト:林あまり(歌人)、東直子(歌人)
1月16日(水)ゲスト:樋口泰人(boid)
1月17日(木)ゲスト:山中瑶子(映画監督)
1月18日(金)ゲスト:矢田部吉彦(東京国際映画祭プログラミング・ディレクター)
1月19日(土)ゲスト:高橋久美子(作家・作詞家)
1月20日(日)ゲスト:文月悠光(詩人)
1月21日(月)ゲスト:西原孝至(映画監督)
1月22日(火)ゲスト:佐々木敦(批評家)
※連日19:00の回上映後/すべての回に杉田協士監督も登壇
さらに、本作は渋谷・ユーロスペースほか、1月26日より名古屋シネマテーク、2月1日よりシネ・リーブル梅田、横浜シネマリン(2月予定)、京都・出町座(時期未定)での公開も決定した。
著名人 絶賛コメント
■諏訪敦彦(映画監督)
この世界に登場する人たちは、映画が始まる前から、映画が終わった後でも、いや、もしかしたら映画など存在しなかったとしても、きっとどこかに生きている。学校の美術室、閉店してゆくガソリンスタンド、小さな町の写真スタジオ、それらは単なる映画の舞台ではなく、本当に彼らが生きている世界なのだ。「しーちゃん」とぶっきらぼうに呼ぶ声。埋めがたい距離をごまかす「ハハハ」という小さな笑い声。場違いな告白。物語にならない誰かへの想いだけが呼吸するように重ねられる時間の果てに、突然、一編の詩が立ち上がる瞬間が訪れ、イメージが結晶化する。私は息を飲む。ああ、これは映画だったのだ。そして「ひかりの歌」は私たちのすべての生をそっと包み込んで歌う。この世界を信じて良いのだ、と。
■高橋久美子(作家・作詞家)
すごい良かった。日常を平熱通りに切り取った映像は、切なく美しく、こんな中に私達みんないるんだなと思うと、帰りの電車の中、全ての人が愛おしくなった。
■山本文緒(小説家)
静かでさりげなくて優しいのに、見終わったあとにとてもかき乱された。この映画の中の光と闇は、目を開けていられないほど眩いわけでも、ぞっとするほど真っ暗なわけでもない。だからこそ少し不安定で足元が覚束ないような気持になった。普通の人は叫ばない、ということも、この映画を見て改めて思った。叫んで発散させないで、胸の中に光と闇を共棲させて生きていくんだと思った。
■松井周(俳優・劇作家・演出家)
誰かと一緒にごはんを食べたくなる映画です。話すことなんて「これうまい!」とか「最近寒いね」とかで構わない。声や表情や仕草で受け取れる。そういう場所ではそのくらいがちょうどいい。でもそういうときに限って、突然泣き出したりとか、スッといなくなったりとか、外で誰かへの想いを告白したりとか、ちょうどよくないことも起こってしまう。この映画には、そんなちょっとした逸脱も含めた人間の営みが全部つまっている。これらは映画の内容と一切関係ないですが、観たらわかるんじゃないかと思います。誰かとごはん食べたくなるってことは。
■林あまり(歌人)
四粒の宝石たち。それぞれの光を見ていたら、臆病な自分に気づいた。大切に想う誰かに、一歩だけでいいから近づいてみないと。友達でも恋人でも家族でも。
■東直子(歌人・作家)
それぞれの短歌が、うれしそうに光って、生きていました。
■天野慶(歌人)
31音から零れた世界を想像する、それが短歌の楽しみ。夜中の自販機が、こんなにせつないなんて。杉田監督が短歌から掬いとった、美しいひかりたち。
■文月悠光(詩人)
女が秘める想いとよるべなさ。歌のひかりが照らし出す彼女たちの横顔は、静かにうつくしい。なぜ知っているのですか?闇をひた走る今日子の力強い足取りや、早朝に駅のホームに立つ雪子の姿を見守りながら、私は問いかけていました。なぜ知っているのか?その問いかけで胸が張り裂けそうでした。第4章、夫婦の止まった時間が動き出す瞬間に、深く唸りました。映されたものの外側を想像させてくれる稀有な名篇です。
■矢田部吉彦(東京国際映画祭プログラミング・ディレクター)
一首の短歌から紡がれる芳醇な物語に心の震えが止まらない。まるで短歌の音節を刻むように、『ひかりの歌』は様々なリズムで溢れている。キャッチボールの音やランニングの息遣い、そしてブルース。出会いと別れの情感が、旋律となって心の琴線を震わせる。極上の短編小説を映像で味わう全く新鮮な歓びに包まれて、歌を詠んでひかりに乗せたいと僕も思った。
■樋口泰人(boid)
なんと贅沢な映画だった。紳士で口数も少なく穏やかで控えめな見かけの杉田くんは、実は超欲張りなわがまま野郎だと確信した。歩く人と自転車に乗る人、走る人と座る人、フェリーと車と列車で旅する人、語り得ない旅から帰ってきた人。70年代から80年代にかけてのヴェンダース映画の10数年を1本に収めた上でさらにこれから先を示す現代映画にしようという野心。ここではないどこかではなく今ここにある何処かを誰もが旅することができるのだと、我々を束の間で永遠の瞑想へと誘い続ける映画だった。これを見たら誰もが今自分がどこにいるのかまったくわからなくなり、しかしいるべき場所に確実にいるのだと根拠のない確信を持つに違いない。
■清原惟(映画監督)
わたしたちが日々つまずく、小さな階段やでこぼこ道を、大きく飛び越えていくのではなくて、ひたひたとその感触を確かめながら歩いていく勇気をくれる映画。しばらく歩いているうちに、すっと雲の切れ目にでくわして、気づいたらひかりの中にいました。この映画が産まれてきてくれてうれしい、と思いました。
■山中瑶子(映画監督)
杉田監督に初めてお会いした時にその目を見て、直感的に「この人の前では嘘をつけない」と思った。そのすぐあとに『ひかりの歌』を観て、杉田協士という人間そのものみたいな映画だと心からよろこんだ。わたしにとってあまりにもやさしい、大切な映画です。
■盛田隆二(小説家)
杉田協士監督は3人称で世界を俯瞰しないし、主人公の1人称視点で内面を描くこともしない。誰かを想い続ける君や、ひたすら走り続ける君の傍らを、静かに伴走する。これはそんな2人称の映画だ。短歌4首。31文字が放つ一瞬の光芒がチェーンのようにつながり次々に映像化されていく興奮。4人の女性の胸をしめつけられるような孤独がとにかくリアルで愛おしい。
■伊野孝行(イラストレーター)
この映画にはしばしば沈黙が訪れる。気まずい。「なんか、もっとこう気持ちを伝えなさいよ」とおせっかいに背中を押したくなる。でも主人公たちは決してペラペラしゃべらない…。見終わった後、饒舌な映画だと思った。行き交わない気持ちがあるから、歌や映画は作られる。気持ちのいい映画だった。
■筒井武文(映画監督)
杉田協士監督の『ひかりの歌』を見てしまった衝撃というべきものから、まだ抜け出せないでいる。この映画(映画だとすればだが)に登場する人物たちの今後やその前史を思いめぐらさずにはいられないからである。それは惜しげも無く断ち切られた登場人物の魅力的な存在感に打たれたからではあるが、その視点からの距離のせいでもある。つまり、キャメラは登場人物たちを解釈することを禁じている。近写の場合でも同じであろう。観客は登場人物が何を考えているかだいたい想像ができる。しかし、どうしてこのような行動をとるのかはまったく分からない。これが、『ひかりの歌』の特異な魅惑だ。その意表を突く様が、各エピソードを通じて反復され、またその行動は大胆さを増す。この感情と行動の断絶とは、『ひかりの歌』の作られ方自体が、途轍もない自由さに基づいていたからかもしれない。これほど、作られたという印象から遠いフィルムもないのである。
■古澤健(映画監督)
映画を作ることが、スクリーンを通して「あなた」を見つめることが、カメラの前に立つ人々によって許されている。開巻数分でそんな風に感じてしまった僕は、動揺して泣きそうになってしまった。「わたしはここでいつものように息をする。あなたはそこでわたしを見ていてもいいよ」たとえば……『コクーン』の宇宙人たちのように、彼らは僕たちがそこにいることを許してくれる。スクリーンを見つめながら、僕はこの幸福の瞬間が少しでも長く続きますようにと、じっと息をこらしていた。でも、そんな僕の緊張は、映画の中のみんなに笑われてしまうかもしれない。この幸福は『ひかりの歌』の上映が続く限り、どこにも逃げたりしないのだから。そのことを、誰よりもあのスクリーンの中の人々に感謝したい。
■菊地健雄(映画監督)
人々の後ろ姿や背中が印象的な静かで美しい映画。歩く、走る、泣く、笑う、黙る、食べる、歌う。誰かを見つめたり、誰かに見つめられたり。寄り添ったり、すれ違ったり、ひとり孤独になったり。この映画が切り取ったささやかで何気ない時間は、気がつけば魔法をかけられたようにキラキラと輝き出していた。今度、杉田くんに会ったら、その魔法の秘密をこっそり教えてもらおうと思っている。
■和田清人(脚本家)
暗闇のなかで息をひそめて、四人の女たちの人生を見守る。無機質な「ひかり」があたたかく、誰かの口ずさむ「歌」が優しく沁みわたる。今まで見たどの作品にも似ていないのに、なぜかとても懐かしい気持ちになったのは、はじめて映画を見た時のことを思い出したからかも知れない。
■小田学(映画監督)
多くを語らないセリフや映像の中に感じる、登場人物の感情の奥行きに、観ている側の想像力で過去たちを想い考えさせられ、その人の人生を旅しているような、不思議な体験が出来た、とても密度の濃い、優しさに溢れた映画でした。普段あまり真面目な言葉で映画の事を語らないので普段通りに書くと「めちゃくちゃいいんで絶対観た方がいい映画!」です。この映画に出会えて良かった。
■宮崎大祐(映画監督)
ずっと誰かの背中を追って走ってきて、気がつけば誰の背中を追っているのかもわからなくなった。ひさしぶりに振り返ってみると、そこにはこちらを見つめている人がいた。そのまなざしに応えられるかどうか、そこからようやく人生がはじまる。そんな映画だった。
■西尾孔志(映画監督)
この時代の、この町で暮らすボクらにとって、無言で立ち続ける自動販売機の光や、明けない朝に凛と佇む始発電車の光は、きっと誰かのより所になっている。水面に波紋が生まれるように、静かな光は人々の 寂しさや哀しさの影に柔らかな輪郭を与える。そんな押し付けがましくない優しい光こそ、この映画そのものだ。
■保坂大輔(脚本家・映画監督)
この映画を形容する言葉がどうしても浮かばない。凄い、素晴らしい、傑作…どんな言葉もこの映画の価値を下げる様で。杉田君、クソほど面白かったわ。
■鈴掛真(歌人)
31音しかない短歌の少ない言葉からこんなに世界が広がるんだ!と感動しました。決して饒舌でない脚本と、俳優の息づかいすら聞こえてくる穏やかな映像に、上映の間、まるで自分もその世界の住人であるかのように錯覚します。「映画」でありながら、これは「153分の詩歌」なのかもしれません。
■枡野浩一(歌人)
ひかりの歌を四首、選ぶとき私も参加していたのに、想像もしなかった短歌の映画化になっていた。予断を持って観た。ステロタイプな予断にいかに毒されて構えているかをくりかえし自覚した。予想とちがう時間を目撃したと思う。終わってみたら、これしかない、普通の運命の輝きだった。
『ひかりの歌』
1月12日(土) ユーロスペースほか全国順次公開
監督・脚本:杉田協士
原作短歌:加賀田優子 後藤グミ 宇津つよし 沖川泰平
撮影:飯岡幸子
音楽:スカンク/SKANK
出演:北村美岬 伊東茄那 笠島智 並木愛枝 廣末哲万 日髙啓介 金子岳憲 松本勝 リャオ・プェイティン 西田夏奈子 渡辺拓真 深井順子 佐藤克明 橋口義大 柚木政則 柚木澄江 中静将也 白木浩介 島村吉典 鎌滝和孝 鎌滝富士子 内門侑也 木村朋哉 菊池有希子 小島歩美 岡本陽介
配給:Genuine Light Pictures
【ストーリー】 都内近郊に住む4人の女性、詩織(北村美岬)、雪子(笠島智)、今日子(伊東茄那)、幸子(並木愛枝)は、それぞれ誰かを思う気持ちを抱えながら、それを伝えられずに日々の生活をつづけている。旅に出てしまう同僚、他界した父親、閉店が近いアルバイト先の仲間、長い年月行方知れずの夫のことを思いながら、彼女たちは次の一歩を踏みだしていく。
©光の短歌映画プロジェクト