金子雅和監督&宮台真司(社会学者・映画批評家)が登壇!『アルビノの木』凱旋上映記念トークショー レポート

2016年に公開され、世界各国の国際映画祭で11の賞を受賞した金子雅和監督作『アルビノの木』が、4月21日より池袋シネマ・ロサにて凱旋上映中。それを記念して、上映期間中は連日トークショーが開催され、30日には社会学者・映画批評家の宮台真司と金子雅和監督が登壇した。

本作について、「見始めて5分くらいで良い映画だと思いました。この映画は、真利子哲也監督『NINIFUNI』のように、複数の交わらない視座があって、その中のどの対象に意識を奪われているのか、と観客が自分自身の視線を感じながら緊張感をもって見る映画」と感想を述べた宮台。金子監督からの「この映画の特徴は何だと思いますか?」という質問には、「ナギというヒロインを、観客が鹿の化身だと感じたら、そう見れば良いと思うんです。なりすまし、なりきりという言葉で言うのですが、先住民が猟をするとき、例えば鹿を狩るなら鹿の毛皮を被り、鹿になりきる。それを鹿だと思いメス鹿が近づいてきて鹿同士の会話が成り立つ。相手が油断したところで人間に戻って撃つ。ある種だましうちなので、現代人の感覚で見ると残虐に思えるけど、本当になりきって相手に付いていってしまうと、今度は自分が殺されてしまう。どっちかが殺し殺される。鹿は人間になるし、人間も鹿になる。それが先住民の世界認識なんですよね。そういう感じが、この映画は一貫している。ラストシーンでも、人が鹿を見るのと、鹿が人を見る感じが同じ。害獣として人間が鹿を見るように、鹿も人間をストレンジャーとして見ている」と、近代の価値観とは違う、古来から人間が持っていた価値観に言及した。金子監督も「主人公の名前がユクなのですが、ユクはアイヌ語で鹿の意味。殺す側と殺される側を同じ名前にすることで、どちらにも成り得る、交換可能な存在であることを示しています」と、その価値観をもって映画を作り上げたことを明かした。

さらに、「ナギの結婚のシーンも良かった。結婚式や葬式で10人~20人の隊列になって歩くのは前世期はあったけど、今はない。ナギの裏切りというのがとてもナチュラルに描かれていた。主人公のユクにはナギと結婚する資格がない、という“節理”として見ることが出来たんです」と宮台は語り、人類学における“遺伝的”に持っている生き方や人々が生きる現代社会の価値観への疑問に話は及んだ。「昔は当たり前に持っていた感覚が、とても説得力を持って描かれていて納得しました。人類学で言うと、人間は4万年前は言葉を喋っていない。法や決まりが出来たのは1万年前。僕はそれ以前の、決まりを知る前の人間の生き方に関心があります。僕たちが遺伝的に持っているのは、言葉や決まりが出来る前の生き方であって、ごく最近の生き方のほうが特殊。その特殊が当たり前だと思っているところに現代人の愚かさがあるのだけど、21世紀に入ってから“もともとの人間がどういう風に世界を認識していたのか”を描く映画が増えている。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『メッセージ』ではアジアの先住民の思考を意識して描いているし、テレンス・マリック監督『シン・レッド・ライン』は、人間の時間、鳥の時間、ワニの時間、米兵の時間、日本兵の時間、先住民の時間、それぞれが違ったレイヤーを構成していて、観客はどの時間にもなれる。その中で特殊なレイヤーとして戦争をしている奇妙さが描かれているんですね。ヒューマニズムに元づく戦争批判では全くなく“一体何をやっているんだろう”という視点。その流れの上にぴったり『アルビノの木』もあって、しかも無駄なものが全くない、すごく良い映画だと思いました」と、改めて本作を絶賛した。

「近年だとシーロ・ゲーラ監督『彷徨える河』も感銘を受けました」と言う金子監督に対して、宮台は「(あの映画は)先住民、近代人、日本人、アメリカ人、それぞれのアイデンティティがある、というようなクズの発想をしない。LGBTもそうだけれど、一個のアイデンティティに固定してモノを見て、権利をくれ、というのは馬鹿げた発想なんですよね。近代人はアイデンティティをベースに権利要求をするけど、少数者保護でも環境保護や動物愛護でも、ひとつの事を保護しようとすると、保護しなくても良いものが出てしまう。イルカや鯨は大事だけど、豚や牛は別にいいだろう、とか。法以前、言葉以前の僕たちの感性では、保護とか愛護というような考え方は全くなかったけど、獲り過ぎない、やり過ぎなかった。調和やバランスが大事なんていう発想も全くなく、感受性の働き方が違った。現代はその感受性がねじ曲がってきているので、それを戻すことを意識してやっていかないといけないと思うんですよね。映画の作り手がすごいのは、僕らは本を読んで勉強して、なるほどって思うんだけど、映画は10年くらい先駆けてそういう表現をしている」と、現代とは異なる感性について触れながら述べた。

それを受け、「『アルビノの木』を作ろうと思ったきっかけは、そういう近代のヒューマニズムに対する疑念からでした。かといって、ヒューマニズムを正面から否定するような作り方は面白くないな、と思ったときに、民話や神話にあるような、近代以前の語りが有効だと思ったんです」と金子監督。ヒューマニズムへの疑問やアイデンティティの固定に寄与しない感性が日本では失われつつある一方で、海外ではそうした古い日本映画から新たな価値観として取り込みつつある現状を、宮台は「今の日本は勧善懲悪が好きで、ちょっとでも捻りがあると“どういう意味があるんですか?”となってしまうのが非常に残念。90年代に入るまでは、むしろ日本のほうが欧米よりも“悪に見えて悪じゃない、善に見えて善じゃない”というような表現に対して感性が開かれていた。古くは近松の心中ものの浄瑠璃など、排除されたものや周縁に追いやられたものにこそ力が宿ることを分かっていた。海外の人でそれから影響を受けた人も多い。だけど今は古い日本映画、例えば溝口健二監督を研究しようと思ったら、アーカイブが日本国内になくて、海外に行かないといけないんですよ」と語った。

次回作について、金子監督が「直近で準備しているのは『アルビノの木』の山とは逆に、都会を舞台にした映画です。近代化され小奇麗な都会にもその地面の下には縄文・江戸時代・戦中など、複数の時間がレイヤーとして存在している。そこに着目した映画です」と明かすと、宮台は「良いですね。都会で生きていると“言葉の奴隷”になってしまうから、森とかにいかないといけないと思うけど、金子監督が、都会の中に僅かに残る“綻びのある場所”を描くことが楽しみです」と期待を込め、濃密なトークショーは終了した。

『アルビノの木』
4月21日(土)より、池袋シネマ・ロサにて公開中
監督・脚本・撮影・編集:金子雅和
出演:松岡龍平 東加奈子 福地祐介 増田修一朗 山田キヌヲ 長谷川初範
配給:マコトヤ

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