クリント・イーストウッド監督最新作で、2015年に発生したテロ“タリス銃乱射事件”を描く映画『15時17分、パリ行き』が3月1日より全国ロードショーとなる。このほど、クリント・イースウッド監督が日本のインタビューに応じ、主演3人のキャスティングや演技論、実話に魅せられた理由、今後の俳優活動について語った。
クリント・イーストウッド監督 インタビュー
Q:映画化へのきっかけ、そして主役にはどのように当事者3人をキャスティングすることに決めたのですか?
イーストウッド監督:スペンサー・ストーンに送ってもらった本を読んだ時、この物語は僕がかなり前からやっていること(実話の映画化)で、とても興味深く思えたんだ。それから映画化に取りかかり、3人にはテクニカル・アドバイザーを依頼し、サクラメントから何度かスタジオに来てもらった。同時に、オーディションでとても良い役者たちを何人か見ていたんだけど、ある時、テクニカルな面の話し合いの中で、彼ら3人に「自分たち自身を演じることについてどう思う?」と聞いてみた。僕は何かを見逃していたんだ。その可能性をね。もっと小さな状況で役者じゃない人を使ったことはあった。おそらく、見た目がとてもよかったんだろう。今回の場合、彼らの顔はみんなとてもユニークで好感がもてるから、うまくやり遂げられたら、この挑戦はとてもおもしろいものになると思った。また、もし正しくやらなかったらひどいものにもなるだろうとも感じた(笑)。そこからスタートして、少しの間考えてから、やっと「やる」と決め、トライし、今ここにいるんだ。
Q:撮影中、事件を経験した3人は演技未経験者です。監督にとって「演技」とは?
イーストウッド監督:演技は、多くの人たちが異なるアプローチをする。僕の時代のやり方では、いろんな演技の本を読む。僕が駆け出しの若い役者だったときは、いろいろなテクニックを分析したよ。ほとんどの本は自分で学ぶためのもので、実際にやってみなければならない。演技は数学のようにやることは出来ない。数学なら正確だけど、演技には何も正確なものはないからね。感情的なもので、知的なアートフォーム(芸術形式)ではなく、どちらかというと内面に向いたものだ。試行錯誤して、コーチしてもらいしながら見つける。みんなが違う方法で、自分の心を通してね。演技についてはかなり考えないといけないけど、考え過ぎることでダメにしてしまうこともある。だから、その微妙なラインでやらないといけない。十分考えながら、分析し過ぎないようにね。
Q:本編には数多くの当事者たちが参加しています。どのような経緯でキャスティングされたのでしょう。
イーストウッド監督:今回のプロジェクトは、実際の場所で撮影することになり、何人かのテクニカル・スタッフがイタリアで様々なロケーションのセッティングをした。助監督とプロデューサーの一人は、事件の場にいた何人かの人たちに連絡を取り始め、僕は「彼らに作品に出たいかどうか聞いてくれ」と伝えた。彼らはみんな事件でショックを受けていたけど、誰もが“イエス”と言ったんだ。そして、負傷したマークと妻のイザベルも加わることになった。すると、あの列車にいた実際の看護婦も「OK。いいわ」と、事件が起こった場所に戻りたいと返事をくれた。その後、列車に入ってきた全ての刑事たちが作品に引き寄せられるように参加することになって、役を引き受けてくれた。彼らはみんなその場所に戻リたがった。現場では、僕とスタッフ以外はみんなその場にいた人たちだったよ(笑)。
Q:当事者たちが再び集まった現場はいかがでしたか。
イーストウッド監督:現場はその熱意が素晴らしかった。やったことは基本的に(事件の)レプリカなんだ。僕らが理解出来る範囲において撮影を進め、現場では「あなたがしたことをやってくれ。あなたは何をしたの?」と聞きながら、彼らがそうしたように撮影した。それはまるで、自分の横に秘書がいて助言を与えてくれるようなもので、それが彼ら自身のペースをもたらす。もしその中の一人が横になって何か他のことをしたら、僕はそのまま撮るんだ(笑)。でも、多くのエキストラの人たちも含めたみんなが撮影を楽しんでいた。事件はとてもひどい状況になるところだった。犯人は2つの銃とひとつのナイフ、カッターナイフでしっかりと武装していたし、多くの弾薬を持っていたからね。もしそのまま(犯行)が続いていたら、今までで最悪の出来事の一つになっていたよ。
Q:先ほど、演技とは知的な芸術形式で、感情的な芸術形式とコメントされましたが、もう少し詳しく説明していただけますか?
イーストウッド監督:演技は、クッキーか何かを作っているように分析することは出来ない。想像力を使って元にたどり着かないといけないし、もし数学的な形式で分析しようとしたら、その想像力は妨げられることになる。それは役者とキャラクターが物事について感じることなんだ。キャラクターの感情を正確に再現しないといけないけれど、今回の場合はその問題はなかった。彼ら自身がキャラクターだったからね。つまり、そこを介する人を飛び越える。正確な形式じゃないから、これを説明するのは難しい。はっきりとした形式なら説明するのは簡単だ。数学や多くのことを説明するのは楽だし、テクニカルなことは、「電話はどうやって作るの?」と言えば、これをしてそれをして…というふうに、いつも同じなんだ。
Q:『アメリカン・スナイパー』や『ハドソン川の奇跡』、そしてこの映画は実際に起こった事件を基にしています。何があなたをフィクションから現実の話に移行させたのでしょう?
イーストウッド監督:それがなぜかはわからない。テクニカルには語れない部分だ。「あなたはなぜそうするの?なぜ今これを持ち上げるの?」と言えば、やるべきことだからだよ。でもほとんどのことは、ある考えによって動かされている。僕は3人に頼っていて、彼らは映画のテクニカル・スーパーバイザーになる代わりに、再び自分自身になったんだ。少なくともトライすることは理にかなったことのように思えた。同時に、彼らがひどいことになった場合に常に備えていたよ。彼らがどうなるか、何をするのか全くわからなかったからね。最悪の場合、現場に戻ってプロの役者を使ってもう一度撮り直さないといけなかったし、そうなる可能性もあった。でも、僕にとって挑戦しないことはありえなかったんだ。
Q:テロ事件のバックグラウンドについてお伺いします。ごく普通の人々がテロ攻撃を受け、特にアメリカはもっと極化していて、お互いを憎み合い、ヘイトクライムすら起きています。こういう状況は、もっとテロ攻撃を生み出すことになると思いますか?
イーストウッド監督:僕がそれを心配しているか?みんなが心配していると思う。だからこそ、このストーリーを語る価値があるんだ。悪い状況を描いているけど、良いエンディングがある。ここ数年、僕たちが見てきた多くのエンディングは良いものではなくて、予測不能なことだった。ただ道を歩いていたら、誰かが突然トラックで轢くとする。一体どうする?間違ったときに、間違った場所にいただけなのに…。今回の場合、彼らは正しいときに正しいことをやった。理由などなくて、彼らがただやったことが興味深いところだ。何かの後ろに隠れるか、飛び出て何かをやるかしかなくて、どちらも危険な行動だけど、少なくとも何かをしようとしていた。誰もがそうした力があればいいのにと思うし、多分、そうするかもしれない。実際にやってみるまでは決してわからないし、彼らもわからなかったんだと思う。スペンサー・ストーンが立ち上がって、300の銃弾と頼りになる軍用の武器とバックアップ用のピストルとナイフを持った男に向かってまっすぐ走って行ったとき、それを書き表すことは不可能だ。でも、可能だったんだ。それが、このストーリーを語るのを興味深くするんだよ。とてもひどいことが起きる寸前で、犯人にとってうまくいかなかったことは、ストーリーの興味深い側面だ。もし、それがスペンサーではない誰かだったら、犯人はうまくいっていたかもしれない。誰もどういうことが出来るかわからない。ほとんどの人々は、当然ながら、テーブルの下や椅子の後ろに隠れているだろう。それも懸命なことだけど、スペンサーは立ち上がって、まっすぐ走って行ったんだ。最初、僕が彼に「当時は何を考えていたの?」と尋ねたとき、彼は「何も」と答えた。引き金が引かれて不発に終わったとき、彼は死んだと思った。でも、それが不発だったことに気づき、走り続けた。もし不発でなければ、もちろん彼は生きていなかっただろう。
Q:犯人の銃が不発だったことをどう思いますか?それは奇跡ですか?
イーストウッド監督:わからない。誰にもわからないよ。違うアングルから考えることは出来る。彼に用意された運命だったのか、崇高なる力か何かが「(死ぬのは)今回ではない」と言ったのかもしれない。おそらく、みんなが違う解釈の仕方をするだろう。僕はただ、不発と解釈した。でも、運命が人生をある方向に導くのかもしれない。僕の人生のある時を振り返ると、助けられたのかもしれないと思える出来事が何度かあった。子供の頃にも、ひどいことになりえたいろんなことがあった。そういうものなんだ。
Q:子供の頃のあなた自身の経験と、彼ら3人の子供時代に共感を覚えましたか?
イーストウッド監督:彼らの子供時代に?そうだね。僕は、経済状態があまりよくない時代に育った。特に子供の頃は経済がとても悪く、両親はよく引っ越しをして、僕はいつも違う学校にいたから、30代、40代までは決まった場所に留まることがなかったし、誰のことも6ヶ月以上は知らなかった。それで、物事に違うアプローチをすることを学んだ。彼ら3人はみんな同じ近所に住んでいた。崩壊した家庭だったり、いろいろと困難なことがあったとしても、グループの中でお互いサポートしあうことが出来たんだ。僕らは違う世代ではあるけれど、誰もが運命とそういうふうに取り組むんだよ。なぜ、ある時、ある場所に行くことになるのか?と。僕はロサンゼルス・シティ・カレッジで、1単位15ドルで経営管理学を勉強していたけど、どこへ向かっているのかわからなかった。誰かが僕に「一緒に演技の授業に行かないか?」と誘ってくれたけど、「演技の授業には行きたくない。それって一体何だよ」と返事をした。でもその後、演技のクラスに行き「これはおもしろそうだな」と思ったんだ。だから、どこへ行く着くことになるのか、決してわからないものなんだ。その夜、休みを取って「行きたくない。疲れたんだ」と言っていたかもしれない。そうしたら人生全体が変わっていただろう。誰もがそういう経験を持っているものだと思う。なぜ、あのストップサインで止まって、あそこでは止まらなかったのか、そしたら他の車にぶつかっていただろうとかね。それは、誰もが感情移入出来ることだよ。でも、彼らのような、銃に向かって走って行った人に感情移入するのはとても大変だね。
Q:彼ら3人が、ヨーロッパ旅行で楽しんでいる姿をかなり長く描きました。ナイトクラブで踊ったり、飲み過ぎたりしています。それは、ミレニアルが深夜に楽しむリアルな生活です。なぜ、彼らがヨーロッパで楽しんでいるところ丁寧に描いたのでしょうか?
イーストウッド監督:彼らは楽しんでいて、それに何か重要な意味があるかどうかはわからない。アレクはドイツとの縁があるから、何かを再び体験しようとしている。スペンサーとアンソニーの2人は「行こうよ。ヨーロッパには一度も行ったことがないんだ」という感じだ。多くのアメリカ人が(彼らのように旅行して)ヒッチハイクをし、ヨーロッパ中を周り、いろんな人々や社会を見たいというのはとてもよくあることだ。その過程では、ひどい時間を過ごすことになるとは思わない。平和な国だから、他の社会がどういうことをやっているのかをただ見に行こうとする。彼ら3人も同じことをやっていて、お酒を飲んで、何人かの人々に出会う。できれば、魅力的な女性たちともね(笑)。彼らはただ男の子でいるだけだ。でも、計画して旅行していたら、誰かが「銃撃戦がある」と言えば、彼らは「家にいよう」と言っていただろうね。
Q:あなたが今興味を持っていらっしゃるトピックとかテーマはありますか?それを教えていただけますか?
イーストウッド監督:他の人々を分析すること。それが僕の仕事だよ。ただそれについて考える。この映画のスペンサーのキャラクターみたいにね。彼は、若いときに宗教的なトレーニングをいくらか受けたから、祈りの言葉を考えた。本作の後半で、スペンサーはセント・フランシスによって書かれた祈りの言葉を話す。僕はそうだろうと思っているだけなんだけど、彼はおそらく、自分の行為を自分自身に説明しないといけないんだ。
Q:つまり、あなたは実話に基づいたストーリーにもっと興味があるんですか?
イーストウッド監督:その通りだよ。
Q:あなたはアメリカの新しい世代や未来についてどうお考えですか?
イーストウッド監督:今はタフだ。アメリカだけじゃなく世界中においてね。こういった状況は起こりうるだろうし、僕らがパリで撮影しているときも似ている状況で、スペインやカンヌ、いろんな場所でひどいことが起きていた。僕らは異常な時代にいるように感じる。考え過ぎたら落ち込むことになるけど、前に進まなければならない。そういった面で、この出来事はとても素晴らしい結末をもたらしたし、語る上で価値のあるものに思えるよ。
Q:今後の俳優活動はどうですか?近い将来、演技することは?
イーストウッド監督:多分ね。いやぁ、もし良い役が巡ってきたら可能性はあるよ。でも、良い役というのはあまりたくさんはないんじゃないかな?たまに何かが巡って来ることがあるから、僕はいつも作品を探しているけど、ゆっくりやっている。歩いていって決断を下す。走っていく必要はないんだ。
『15時17分、パリ行き』
3月1日(木)より丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他全国公開
監督:クリント・イーストウッド
出演:アンソニー・サドラー アレク・スカラトス スペンサー・ストーン
配給:ワーナー・ブラザース映画
【ストーリー】 2015年8月21日、アムステルダム発パリ行きの高速列車タリスが発車した。フランス国境内へ入ったのち、突如イスラム過激派の男が自動小銃を発砲。乗務員は乗務員室に逃げ込み、500名以上の乗客全員が恐怖に怯える中、幼馴染の3人の若者が犯人に立ち向かった。
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