『桐島、部活やめるってよ』、『紙の月』など、人間の光と闇を描き続ける吉田大八監督の最新作で、錦戸亮主演で贈る『羊の木』が2月3日より公開中。2月12日に吉田大八監督の地元である鹿児島県のTOHOシネマズ与次郎にて、公開記念舞台挨拶が行われ、町に移住してくる元受刑者のひとり・大野克美を演じた田中泯が吉田監督とともに登壇した。
満席の場内から、拍手で迎えられ登壇したふたり。鹿児島には縁があると言う田中は、「昔はバスケットボールの選手だったのですが、小さな時から好きだった踊りを習おうと決めた時、最初に習った先生が鹿児島の大口出身で、内弟子になりました」とエピソードを披露。吉田監督は撮影中にダメもとで、「映画が完成したら一緒に鹿児島に行きましょう」と誘っていたそうで、「今日遂に実現して、僕にとっては歴史的な一日になりました。僕の興奮を少しでも共有してもらえたら」と嬉しそうに語った。
「大野」役を田中にと熱望していたという吉田監督。「大野という役は、18年刑務所にいる役で、その長い間の感情とか、自分が人を殺めた記憶とか、そういったものが積み重なって今、どういう状態でいるんだろうっていう所を僕は想像しかできず、確信が持てなくて、泯さんがご自分の身体で表現なさってきたことをお借りできないかと思いお願いしました。大野という役についてご相談をするような気持ちでした。ただ、泯さんはすごくお忙しくて、来てもらえなかった場合はこの役はシナリオから書き直さなきゃいけないという風に思っていました」と言葉に熱を込めた。
オファーを受けて脚本を読んだ感想を聞かれた田中は、「今自分は、偶然自分として生まれて生きているけれど、ちょっとした運命の違いで、自分がこの“大野であったかもしれない”という風に思いました」と振り返った。さらに、「そんな風に思えるか思えないかで、その仕事をやれるかもしれない、やれないかもしれないと考え、引き受けるか引き受けないかを決めるんです。残念ながら僕は刑務所に入ったことは本当にないんだけど(笑)、18年間というのは想像はできても、1人の人間の内側というのは、言葉にできないものを無数に抱えていると思うんです。自分でコントロールできないものが体から飛び出していると思うんですが、そういったものがたくさん大野の中にはあるのだろう、と。そのためには、撮影の現場が面白くなくてはいけない。図々しいんですけど、僕は監督と会わずに仕事を引き受けることはほとんどなくて、監督がどんな人か、何を考えているか品定めさせてもらうんです。もっと若い頃の僕が言ったら“生意気だ”って言われちゃうかもしれないけど、今はいくら叩かれても平気なんで(笑)。そうやって知り合ってできることというのが、僕にとっての“演技”なんです。それは“踊り”に近いところにある。今回は、大野のことをまるで他人を語るようにできるっていうのが、僕にとっては一番うれしいことでした」と、撮影を振り返り、吉田監督への信頼を改めて明かした。
現場での田中の印象を聞かれた吉田監督は、「大野の命と泯さんの中の何かが戦う様を見たかった。実際に現場で、僕が想像もしていなかった表情や佇まいを目にしました。泯さんは大野の“弱さ”みたいなものを意識していると仰ってたんですけど、それは僕の中になかった視点でした。撮影現場で大野という役が育って行く様が刺激的でした」と語った。
大野とクリーニング屋の女店主のシーンは鑑賞者の中で非常に人気が高く、主演の錦戸亮が、たびたび「主人公の月末以外だったらどの役を演じたいか?」と聞かれ、大野が勤める「クリーニング屋の女店主」と答えていることに話が及ぶと、「ほんとですか?!」と驚く田中。吉田監督も「すべての俳優に自信がありますが、あのシーンは見る人の心に残るものになっていたらいいなと思うし、手ごたえはありますね」と語った。
また、観る人それぞれに鑑賞後感が異なると話題になっている本作。完成した映画の感想を問われた田中は、「この映画にはおそらく無数の感想があって、果てしもない数になっていく。その理由は単純で、この映画が人の命を奪ってしまった6人のお話だからです。人間という生き物が同類の命を殺すということをいまだにやめられない。僕は勝手にそれがこの映画のテーマだと思っています。人間って面白いっていえば面白いし、怖いっていえば怖いし、わからないっていえばわからない。本当にクエスチョンマークの存在なんです。その“人間”としてどういう風に皆さんひとりひとりが生きていくかというのを、この映画を観ると考えることになってしまう。とても大変な映画です(笑)。そんな風に構える必要もないと思いますが…この映画のヒミツは、観ちゃったら皆さんの中から離れなくなるってこと。忘れても、残ってる何かがきっとあるんだと思います」と話すと、吉田監督も、「正解は僕の中にもありません。皆さんが持ち帰っていただく『羊の木』がどれくらい広がって行くかというのが楽しみなんです。完成した後に俳優・スタッフ含め鑑賞した後、みんな黙っていて、なかなか言葉が出てこなくて。その時泯さんが“この映画の最もいいところはこの沈黙だ。みんなが黙って自分の中で一生懸命消化するその時間に価値がある”という評価をしてくださって、その言葉に僕は救われました。今の時代にそういう映画を作ったことが、自分にとってはすごく意味のあることだったし、僕自身もこの映画についてずっと考え続けていて、この映画について話す度に言うことが少しずつ更新されていく。考え続けていくことが大事なんだと思います」と、多様な受け止め方ができる『羊の木』への特別な思いを語った。
最後に田中は、「映画を観た後は、完全に映画の主体は皆さんです。映画を観た次の瞬間から何を思い、どんな行動をするのかという時に、ふわ〜っと映画がくっついてくるのかもしれない。そのくらい僕は映画の力ってものを見せられた経験でした。刑務所から出てきて錦戸さんと会うシーンは、短いですが僕にとっては踊りの真剣な練習に近くて、いまだにもう一回あれをやりたいと感じます。あの時の大野の体にはたくさんのものがつまっている。でもそのつまっているものを見えるように表現するんじゃなくて、つまっているものと一緒に歩いている、そんなことをやらせていただけた素晴らしい映画でした」と感謝の気持ちを述べ、「皆さんが今日映画を観て経験したことは、人に話さなくてもいいと思います(笑)。経験の表現の仕方には様々な形があると思いますので。鹿児島に雪が降るという珍しい日に、こんな風に皆さんにお会いできて、おしゃべりを聞いてもらえるなんてとんでもないことになりました。本当に今日はありがとうございました」と締めくくった。
そして吉田監督は、「泯さんはこういうところでお話されるのはあまり得意とされてないと日頃から聞いてるんですけれど、無理にお願いを聞いてもらって、泯さんの長い言葉を改めて聞くと、やっぱりご一緒できてよかったと思います。この映画を作ったことに意味があったし、この時間を皆さんと共有できたことにも意味があったはずという風に思いたいです。僕は観終わった後に引きずって持ち帰ってしまうような映画が若い時から好きで、この映画が皆さんにとってもそうなっていればいいなと思います。映画の上映はまだ続きますので、引き続きいろんな形で応援していただければありがたいです」と挨拶し、真摯に語る両名の声に耳を傾けていた観客は、温かい拍手を贈った。
『羊の木』
2月3日(土)より公開中
監督:吉田大八
脚本:香川まさひと
原作:「羊の木」(講談社イブニングKC刊)山上たつひこ いがらしみきお
出演:錦戸亮 木村文乃 北村一輝 優香 市川実日子 水澤紳吾 田中泯 松田龍平
配給:アスミック・エース
【ストーリー】 ある寂れた港町“魚深(うおぶか)”にやってきた見知らぬ6人の男女。平凡な市役所職員・月末(つきすえ)は彼らの受け入れを命じられた。受刑者を仮出所させ、過疎化が進む町で受け入れる国家の極秘プロジェクト。月末、町の住人、そして6人にもそれぞれの経歴は知らされなかった。しかし、月末は驚愕の事実を知る。「彼らは全員、元殺人犯」。犯した罪に囚われながら、それぞれ居場所に馴染もうとする6人。素性の知れない彼らの過去を知ってしまった月末。そして、港で発生した死亡事故をきっかけに、月末の同級生・文を巻き込み、町の人々と6人の心が交錯し始める。
© 2018「羊の木」製作委員会 ©山上たつひこ いがらしみきお/講談社