谷川俊太郎、南果歩、行定勲、三戸なつめ、石田純一ら著名人より絶賛コメント!第31回東京国際映画祭W受賞作『アマンダと僕』

ヴァンサン・ラコスト主演、イゾール・ミュルトリエ共演で贈る、第75回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門でマジックランタン賞を受賞、第31回東京国際映画祭で東京グランプリ&最優秀脚本賞のW受賞に輝いた映画『アマンダと僕』が、6月22日より公開される。このほど、各界著名人より本作を絶賛するコメントが寄せられた。

愛する人を突然奪われ、遺された人たちは、どのように折り合いをつけながらその先の人生を生きていくのか。本作は、その一つの答えを、青年と少女に寄り添って映し出す。ダヴィッドは、パリに出て来たばかりのレナに出会い恋に落ちる。しかし、突然の姉の死によって彼の穏やかな日常は壊れていく。悲しみに暮れるダヴィッドだが、ひとりぼっちになった姪のアマンダの世話をすることになり、次第に自分を取り戻していく。

著名人 絶賛コメント

■谷川俊太郎(詩人)
新たな天才子役現る!その純真な瞳に心を掴まれる。いわゆる泣ける映画とは次元の違うリアルな涙に心を打たれる。この映画を見たというより、この映画でアマンダとともに生きた、と言いたい。

■南果歩(女優)
母を失ったアマンダ、姉を亡くした僕、堰を切って溢れる悲しみと行き場のない憤りを抱えた二人の心に行き着く先はあるのか。遣る瀬無い思いを抱えながらも薄皮を一枚ずつ剥いでいくように、寄り添い生きていこうとする二人。アマンダの涙に滲んだ笑顔は、一筋の希望そのものだ。その真っ直ぐな瞳は演技というものを遥かに超えている。そして私の心を捕らえて離れない。

■中村江里子(フリーアナウンサー)
ある日、突然日常が壊される。これはあなたにも起こりうる物語そうだ、こんな風にしていつもの毎日が壊されたのだと…。これは遠い何処かのお話ではなく、目の前にあった現実なのだと…目の前に泣いているアマンダがいたら、私は間違いなく彼女のために何かをしたいと思ったはず。二人に寄り添いたいと思った私がいました。

■こぐれひでこ(イラストレーター)
不安やためらい、安心や怯え。人生の歯車が狂った時、誰にでも訪れる心の動き。わが身に起きた物語のように、私の心も揺れた。

■行定勲(映画監督)
遺された人々の痛みに寄り添い、未来を描く…その姿勢に日本のクリエイターも共感した心の復興は街の復興とは違って複雑なものだと実感していた私は、前向きに未来へ踏み出すダヴィッドの選択に光を見た。この映画はテロの恐怖や怒りに焦点を当てるのではなく、被害者や遺族たちの痛みや悲しみに寄り添っているところに私は心を掴まれ、それを乗り越えながら生きていこうとする人々の苦悩を描こうとしたミカエル・アース監督の眼差しにシンパシーを感じたのだ。

■枝優花(映画監督/写真家)
Elvis has left the building. この言葉からはじまる映画。そして全て。テロリズムから生まれた傷や憎しみではなく、喪失を柔らかに人と人とで包み、前へ進んでいく物語。傑作。

■今日マチ子(漫画家)
若いこと、子どもであること、繊細であること…弱さを抱えた人々が傷つき再生するのに、特別なことは必要ない。日常を生きることが、日常を壊す者に勝利する唯一の方法なのだ。

■矢田部吉彦(東京国際映画祭 プログラミング・ディレクター)
喪失からの回復が暖かい光線で包み込まれ、感動が止まらない。ミカエル・アース監督は地に足のついた天使のまなざしを持っている。

■高木慶子(上智大学グリーフケア研究所特任所長)
愛する者を失った人間のリアルな感情が描かれる飾り気のない、日常生活の中での耐えがたき悲しみが、静かに伝わってくる作品です。愛する人を亡くした時のもだえ苦しむ悲しみと、どのようにして折り合いをつけたら良いのかと、苦しみ悩む。その姿が見事に映し出されており、体験者でないと理解できない微妙な部分までが、甦ってくる傑作です。

■星野概念(精神科医)
人には、心の居場所が必要です。それを失うことは人生において最大の危機。そんな危機を抱えながら、寄り添ってくれる人を信じたり、寄り添う気持ちを強めたりしていくのは、決して簡単なことではありません。なんとか、本当になんとか生きる登場人物たちのことが、物語が閉じた今でも頭から離れません。

■大島花子(シンガーソングライター/歌手・坂本九の長女)
消えない悲しみを抱えながら、それでも寄り添って生きる青年と少女。二人ならきっと乗り越えられる。深い悲しみのそばに日常の尊い光があることを、アマンダが命を輝かせておしえてくれました。たとえ一人ぽっちの夜でも、ひとは決して、一人ではないのだ。

■三戸なつめ(モデル/女優)
アマンダの泣き顔や無邪気な笑顔が頭から離れません。一人では生きていけない。そんな大切な事を思い出させてくれた映画でした。

■琉花(モデル)
突然の悲劇によって引き合わされた二人が、現実に必死に直面しながら心を通わせ合う姿が、フランスの美しい情景の中で表現されています。人との信頼を時間をかけて築く勇気をもらえる映画でした。

■石田純一(俳優)
希望の光が差し込むラストは観客を大きな感動に包み込み!僕はアマンダを決して忘れないだろう。「もう終わり、望みはない!」物心両面で唯一頼れる母を奪われたアマンダの哀しみと絶望。だが不思議なことに、この映画は小さな希望に輝いている。

■江國香織(小説家)
色と光の美しい映画。生活の喜びのひとつひとつ、喪失の苦しみのひとつひとつが、幸福は儚いけれど強いことを思い出させてくれる。小さいアマンダ、最高。

■柴田理恵(女優)
どんなに悲しみの淵にあろうと、人は立ち直ることができる。愛情をみつけられたら希望はやってくるんですね。

■栗原はるみ(料理家)
人はどんなに悲しいことがあっても自分で考え生きていかなければいけない。辛い時にも楽しい時にも、人はいつでも人に頼りながら、それでも自分らしく生きていけばいいのだと思いました。

■大倉眞一郎(映画評論家/ラジオ・パーソナリティ)
Elvis has left the building.この作品を観て、一生忘れないフレーズになった。悲劇はいつも突然始まり、終わりはしない。とてつもない時間をかけて折り合いをつけるしかないのだが、その方法は人それぞれだ。Elvis has left the building.予想外の場面でこのフレーズが耳に入ってきて、涙が止まらなかった。

■月永理絵(ライター/編集者)
親子ほど近くはなく、他人ほど遠くもない。アマンダとダヴィッドとの微妙な距離感が、とても身近に思えた。ふたりの距離が否応なく縮まり、ダヴィッドは、大人の子どもに対する責任と、個人の幸福の追求との間で混乱する。でも映画は、どちらかを選べと迫るのではなく、両者が溶け合う瞬間をじっと待ち続ける。愛とか情とか陳腐な言葉でごまかしたりしない。その誠実さと勇気に強く惹かれた。そして自分の甥のことを思い、私は少し泣いてしまった。

■立田敦子(映画ジャーナリスト)
悲劇を全身で受け止めながらも、今を生きることに夢中になれる。この少女の生命力に衝撃といえるほど心を動かされた。アマンダのくしゃくしゃの泣き顔、満面の笑顔が忘れられない。

■松村果奈(映画.com編集部)
前触れなく訪れるテロの脅威、自由であると同時に複雑になる家族の形…。リアルな今のパリの生活を切り取りながら、絶望の後、それでも日常を生きていくふたりが眩しい。奈良美智さんの絵から出てきたようなふくれっつらのアマンダの未来が楽しみ。

■松崎健夫(映画評論家)
誰かを想う愛、誰かを忘れない愛、そして、誰かを赦す愛。幼いアマンダの周囲には、優しくも厳しく、また、哀しくも美しい、多様な愛が溢れている。「自分が少しだけ損をしてみることで世界はその分だけより良くなるのではないか?」と問いかけながら、悲しみや憎しみの先にあるべきものをこの映画は教えてくれる。

■新谷里映(映画ライター/コラムニスト)
愛する人を失った後も日常は続いていく、それでも人は生きていかなければならない、日常のなかで、人はどうやって哀しみと向き合い、立ち直っていくのかが、とても丁寧に淡々と描かれている映画でした。小さくて、壊れそうで、愛らしくて、誰よりもたくましく生きようとするアマンダ。彼女の流す涙、彼女からあふれる笑顔、彼女の感情に私の感情は動かされっぱなしでした。アマンダは今どんな日々を送っているだろう、どんなレディに成長しただろう、そんなふうにあのラストシーンの涙と笑顔の先、彼女の未来を想像してしまうのは、アマンダと僕の隣に私もいさせてもらったから、一緒に生きさせてもらったから。寄り添う優しさと共に生きる強さをアマンダに教えてもらいました。アマンダと出会えたことに、ありがとうと言いたい。

■中井圭(映画解説者)
ひとりでは受け止めきれない喪失も、誰かと一緒なら乗り越えられる。心を決めた者たちに訪れる小さな奇跡が、センターコートに優しく響く。

■牧口じゅん(映画コラムニスト)
愛する人の命を突然奪われるという悲劇の中だからこそ、ひときわ力強く輝く光。それがアマンダ。最愛の母を失うという悲しみの中ですら、彼女が放つ野性的で健気な生命力は眩しい。自分たちが守っていたとばかり思っていたアマンダに救われ、大人たちは再生へと導かれていくのだ。人生とは何があっても続いてく。その様を誠実に描いた本作には、ただただ胸を熱くさせられた。

■金子裕子(映画ライター)
姉を失ったダヴィッドと母を失った姪のアマンダが寄り添いながら<喪失から再生への道>をたどる姿に深く心打たれた。大人と子供では心の柔らかさも、タフさも、奥行きも異なる。そんな違いもしっかり観察しつつ、ふたりの感情の機微を繊細にていねいに紡ぎだして迎えるラストのなんと清々しいことか!アマンダの強いまなざしが忘れられない。

■青野賢一(ビームス創造研究所クリエイティブディレクター/文筆家)
理不尽な喪失あるいは別離に際して、その原因となった人や物や事に憎しみを募らせるだけでは前には進めない。頭ではわかっていてもおいそれとそんな風には考えられない状況を、アマンダとダヴィッドは時に悲しみを爆発させながらも少しずつ変えてゆく。アマンダとダヴィッドが観戦するウィンブルドンでのテニスの試合と、これまで、そしてこれからのふたりの姿は見事に重なるものだ。ふたりの人生はまだ終わっていない…むしろここからが勝負である。

『アマンダと僕』
6月22日(土)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開
監督・脚本:ミカエル・アース
出演:ヴァンサン・ラコスト イゾール・ミュルトリエ ステイシー・マーティン オフェリア・コルブ マリアンヌ・バスレー ジョナタン・コーエン グレタ・スカッキ
配給:ビターズ・エンド

【ストーリー】 夏の日差し溢れるパリ。便利屋業として働く青年ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)は、パリにやってきた美しい女性レナ(ステイシー・マーティン)と出会い、恋に落ちる。穏やかで幸せな生活を送っていたが…。突然の悲劇で大切な姉が亡くなり、ダヴィッドは悲しみに暮れる。彼は、身寄りがなくひとりぼっちになってしまった姪アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の世話を任されることに…。若いダヴィッドには親代わりになるのは荷が重く、アマンダは母親の死を理解できずにいた。しかし、消えない悲しみを抱えながらも二人の間に少しづつ絆が芽生えはじめる。

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