縄田かのんが初主演を務める、男女4人の中に渦巻くモラトリアムな時間と青春の終わりを鮮烈に描く新しい愛の物語『空の瞳とカタツムリ』が、2月23日より公開される。このほど、各界著名人より本作を絶賛するコメントが寄せられ、併せて予告編がお披露目となった。
男女4人の儚い青春の終わりを、繊細なタッチで叙情的に描きだす本作。タイトル『空の瞳とカタツムリ』は、故・相米慎二監督の遺作『風花』のタイトル変更案として最終候補まで残ったもの。監督は、相米監督の弟子筋であり、『サンデイ ドライブ』、『フレンチドレッシング』、『なにもこわいことはない』など監督・脚本と二足の草鞋で活躍する斎藤久志。脚本は、ドラマ「深夜食堂」シリーズで脚本家デビューを果たし、本作が初のオリジナル映画脚本の荒井美早が務める。
主人公・岡崎夢鹿(むじか)には、本作で初主演を果たす縄田かのん。そのほか、夢鹿の友人・高野十百子に中神円、二人の友人・吉田貴也に三浦貴大、孤独な青年・大友鏡一を藤原隆介が演じる。
著名人 絶賛コメント
■山崎ナオコーラ(作家)
体とはなんだろう?体が大きく画面に映し出されると、自分の体ではないのにゾワゾワっとして、考えさせられた。性別や肌触りやパートナーシップなんか超えていけ。ただ、体を世界にぶつけるのだ。
■Q-TA(コラージュアーティスト)
箱庭の中で足りない自分の欠片を探し求める若者たち。自分自身を切り刻み、異なる感覚を重ね、そこに生まれる快楽を楽しみ軽蔑する。コラージュには客観性が必要だ。その客観性が箱庭を作品として昇華し、その過程こそが、箱庭の外へ出る唯一の方法なのだ。
■鈴掛真(歌人)
長い長い詩の朗読を聞いているような物語に引き込まれました。切なくて、優しくて、痛いほど愛しい詩。観終わったとき、きっと誰かの体に触れたくなる。それは男かもしれないし、女かもしれない、誰かに。
■アミール・ナデリ(映画監督)
今年の東京フィルメックスではいくつかの素晴らしい映画に出会えた。中でも、その物語と映像が今でも私の中に鮮明に残っている作品がある。『空の瞳とカタツムリ』だ。演出と照明が素晴らしいのは言うまでもない。特筆すべきは役者同士のケミストリーが神秘的で、とても純粋なことだ。カメラを通して我々は、彼女たちの息遣いを見守る静かな証人となる。
■フィフィ(タレント)
自分を愛せないのに、誰かに愛されようとして、誰かと交わる事で心を満たそうとして、そうやって葛藤しながら自分を探し続けて生きる…。この映画はそんな2人の女の子の物語。
■加藤千恵(歌人・小説家)
登場人物たちのいびつさや不完全さが、切なくて痛々しくて胸をしめつける一方、このうえなく輝いて見える瞬間がある。まるで奇跡みたいに、魔法みたいに。
■橋本マナミ(女優)
危うさや矛盾の中で生きる男女の葛藤を通して、私も青春時代に感じた歯がゆさを思い出しました。恋したり不安になったり、苦しんだり人間ってそうなんだよなぁって考えさせられる映画でした。
■リリー・フランキー
映画というものは、誰かの覚悟を観るものである。それがそこにあれば全てでもある。縄田かのんの、それを見せられた本作を観て、私は己の意気地の無さを痛感した。
『空の瞳とカタツムリ』
2月23日(土)より、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開
監督:斎藤久志
企画:荒井晴彦
脚本:荒井美早
タイトル:相米慎二
出演:縄田かのん 中神円 三浦貴大 藤原隆介 利重剛 内田春菊 クノ真季子 柄本明
配給:太秦
【ストーリー】 祖母の遺した古いアトリエでコラージュ作品を作り続ける岡崎夢鹿(むじか/縄田かのん)は、消えない虚無感を埋めるため、男とならだれとでも寝る生活を送っていた。一方、夢鹿の美大時代からの友人である高野十百子(ともこ/中神円)は極度の潔癖症。性を拒絶し、夢鹿にしか触れられない。そして二人の友人、吉田貴也(たかや/三浦貴大)は、夢鹿への想いを捨てきれないまま堅実に生きようと努めていた。学生時代、とても仲のよかった3人。しかし月日が経つにつれ、少しずつバランスは崩れていった。そんな中、十百子は夢鹿に紹介されたピンク映画館でアルバイトを始めるが、行動療法のような日々に鬱屈していく。その映画館に出入りする青年、大友鏡一(きょういち/藤原隆介)は、満たされなさを抱える十百子に心惹かれていくが…。夢鹿と十百子、永すぎたモラトリアムは終わろうとしていた…。
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