山田:とってもかわいいですよねえ。とても重要なことですよね。
MC:ありがとうございます(笑)。そして宮本さん。マスコミ関係者や先行上映などで本作を見た方から、宮本さんと沢田研二さんとのやり取りで涙したという方がとても多かったんですけれども、宮本さんからご覧になりまして淑子とゴウの夫婦はどんなふうに見えましたでしょうか?
宮本:ゴウちゃんは本当にどうしようも男なんですけど、淑子にとっては生涯愛することができる人に巡り会って幸せだと思います。
MC:沢田さんはいかがでした? ご一緒して。
宮本:撮影中は、あんまり喋っちゃいけないんです(笑)。
MC:そうなんですか。素晴らしいお芝居でした。
宮本:本当に私も幸せでした。
MC:そして山田さん。この上映回をお客さんとご覧になっていたんですって?
山田:今日はね、後ろの方で久しぶりに観ました。完成してからかなり月日が経ってるんだよね。出来上がったばかりの時は自分の作った映画ってのは後悔ばっかりなんですよね。なんであんな撮り方しちゃったんだろうかとか、なんであんな芝居をさせてしまったのかとか。でもね、今日大勢のお客さんと一緒に観ると結構面白く観てましたね。
菅田:さっきも言ってましたもんね。「結構面白かったよ」って(笑)。良かったと思って(笑)。
山田:それはいいことなのか悪いことなのか、よく分かんないな。少しボケてきてしまったのかもしれません(笑)。
MC::いや、良いことだと思います(笑)。そして私はクライマックスの沢田さんから宮本さんへのメッセージのシーンを観たときに、これは監督から今は亡き奥様へのラブレターなのではないかという思いに駆られたんですが、監督いかがでしょうか?
山田:困ったな(笑)。「まさにそうです」ともなかなか言いにくいけども。そういう気持ちは当然ありますね。ないといえばウソになりますね。
MC:映画監督という仕事は奥さんに結構迷惑をかけるというか、そういう部分はあるんでしょうか?
山田:映画監督って仕事が特別に奥さんにどうのこうのってことじゃないと思いますよね。どんな仕事をする、どんな夫婦にとってもある問題で、いろんな夫婦のカタチがあるだろうけども、僕の場合は僕個人に限って言えばですね、僕の仕事の影には必ず僕の妻がいた。つまり僕は妻がいたから、これだけのことをやってこれたんだっていうことは言えると思いますね。妻の名前は表面には出ないけども、妻がいなきゃ今度の映画にしても妻はもうとっくにこの世から消えてますけども、彼女がいたからこうしてできたんだろうなという思いは今でもありますね。
MC:ありがとうございます。そして北川さん。銀幕女優役、素晴らしかったです。これは私の意見だけではなくて、皆そうおっしゃっているんですけれども、当時活躍された名女優の方々を研究、参考にされたと聞きましたが。
北川:そうですね、でも私はやっぱりその時代を直接は知らないので、いろんな作品を拝見したりとか、その時代の女優さんのヘアメイクなどが特集されているような写真集を拝見したりとかしたんですけど、でもなんだか雲を掴むようで、勉強してもなかなか近づけているような感じがしなくて。一番役作りで助けていただいたなぁと思うのは、監督が「こういう作品の時に、こういう女優さんこうしてたよー」とか、その撮影所時代のお話をしてくださったので、そういう話を聞きながら一つ一つピースを集めていったというか。それが一番役作りの助けになったなと思います。
MC:中でも小津安二郎監督の『東京物語』を再現したシーンはとても印象的だったんですが、演じるにあたり撮影はどうだったでしょうか?
北川:冷や汗(笑)。世界中にファンがいる映画のあんな有名なシーンのオマージュを自分がやるっていうことで、原節子さんを超えることはもう絶対に出来ないですけど、なるべくお芝居とかも近づけてやりたいなあとも思いましたし、真似するだけではなく自分をキャスティングしていただいたのだから自分らしい部分もどこかに残せたらいいなぁと思ったり、いろいろ頭では考えるんですけど、じゃあどうしたらいいんだっていうのが分からなくてパニックになりながら終わりました(笑)。
MC:そうですか(笑)。監督、あの列車のシーンは『東京物語』を忠実に再現したそうですが、監督は何を感じながら撮影していました?
山田:キャメラポジションもね、それからエキストラの配置も、それから北川さん着ている服も全部、原節子さんが着ていたものを再現して。ですから全体としては本当に小津安二郎の映画をそっくり真似して作ろうとして。そして実際キャメラを据えてレンズを覗いてみたら、なんだか不思議な感じがしましたね。なんかゾクゾクっとしましたね。「わ! 小津安二郎が近くにいる」っていうかな。キャメラを覗いた僕にしかわからない感じじゃないかなと思って。小津さんと僕は話したことがないけど、小津さんにちょっと会えた気持ちがしましたね。
MC:その中で原さんを演じていた北川さんはいかがでした?
山田:この話を彼女にしたかどうか忘れちゃったけど、僕は笠智衆さん(『東京物語』平山周吉役)から聞いた話です。原節子さんと何度も共演してらっしゃるんだけども、原さんの話を聞きたくて「どんな人でしたか?」ってよく聞いたんだけども、「あんまりおしゃべりをする人じゃありませんでした。ただ原さんは『私は顔の造作が大きくて、体も大きくて俳優には向いてないんです』と、真面目そうおっしゃってましたよ」と笠さんがおっしゃって。そういう原さんの「私はみっともないんです、女優に向いてないんです」と言うそんな謙虚な気持ちが、そのまま北川さんの演技に出てるんだろうなぁ、なんてそんなことを想像してたんですけども。
MC:そうですか。ありがとうございます。そして野田さん。今回はミュージシャンではなく俳優、野田洋次郎のインパクトが相当強かったんですけれども、ただそれと同じぐらいエンドロールで流れる主題歌が非常に心に残りました。映画と親密な関係にあるこの主題歌はどんな風に生まれたんでしょうか?
野田:撮影が始まって山田組を緊張しつつも日々楽しんで、自分が体験していることが絵空事のようで、日々が過ぎていったんですけど、その中でもテラシンとゴウと淑子ちゃんと園子さんと過ごしているこの感じ、この空気というか匂いというか感覚を、僕は音楽で残しておきたいなぁという感覚があったので、メモとかを台本の横に書き足したりしながら過ごしていて。そしたらコロナで撮影がストップして、志村さんが倒れられたっていう話を聞いて。撮影がすべてストップして、この映画が本当に止まってしまうのかなっていう、組自体がそうですし世の中もそうですけど、あんなに素敵な思い出というかあんなに素敵な経験がなくなっちゃうのかなというか、なかった事にされるのかなという恐怖心で、自粛期間の日々を過ごしていて。だったらもうこの間に音楽にするしかないなということで、誰に何を言われるでもなくこの曲のデモを作って、プロデューサーにお送りして「山田監督にも、僕からの手紙と思って受け取ってください」という話をして、菅田くんにも送って。だから主題歌がどうこうという以前に、僕ができるこの映画への貢献をしたかったっていうのが入り口なんですけども。