オスカー俳優のダニエル・デイ・ルイスが俳優業を引退すると発表した。デイ・ルイスのパブリシストが火曜日に声明を発表した。「ダニエル・デイ・ルイスはこれ以上俳優として仕事はしない。彼は何年にもわたって応援してくれた協力者や観客に心から感謝している。これは個人的な決断で、彼や彼の事務所はこの件に関してこれ以上のコメントをすることはない」。The Hollywood Reporterが伝えている。
12月25日に公開されるデイ・ルイスが出演する最後の映画は、彼が2007年に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で一緒に仕事をしたポール・トーマス・アンダーソン監督との再タッグ作品となる。この作品は『Phantom Thread ファントム・スレッド』(原題)というタイトルになると伝えられているが、配給会社の公式のリストではまだ「ポール・トーマス・アンダーソンのプロジェクト」と表記されている。『ファントム・スレッド』は1950年代が舞台で、デイ・ルイスは上流階級お抱えのファッションデザイナーを演じる。パブリシストの情報では、デイ・ルイスは賞レースの時期に行なわれる映画のプロモーションには参加する予定とのことだ。
役を選ぶことに対してとても慎重で、どの映画でも出演をOKするわけではないデイ・ルイスは、1990年代後半にも一度映画業界から身を引いたことがあった。その時、彼はその状態を「半引退」と表し、自身が力を入れている趣味の一つである木工作業に没頭した。また、その時にはイタリアのフィレンツェに移住し、靴作りを習得した。
5年後、マーティン・スコセッシが映画業界への復帰を説得し、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)に出演した。この映画でデイ・ルイスはギャングのボス、ビル・“ザ・ブッチャー”・カッティングを演じ、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
また、デイ・ルイスは1989年に、ロンドンの国立劇場で『ハムレット』の公演中に、父親の幽霊を見たと言って上演中に舞台を降り、去ってしまったこともある。後に彼は、あのときは比喩的に表現したのであって、「あの直後にはその余波でいろんなことを言ったかもしれないけど、多分その当時父親の幽霊は毎晩見ていたし、『ハムレット』のような芝居をしていたら、自分の経験を通して自分自身の中にいろいろなものを見いだしたりしていたんだ」と話している。
デイ・ルイスは、オスカーに5回ノミネートされ、3度も主演男優賞を受賞している。(身体的にハンディキャップを持ったアーティストのクリスティー・ブラウンを演じた1989年の『マイ・レフトフット』、狂気に駆られた世紀の変わり目の石油王を演じた2007年の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、そしてエイブラハム・リンカーンを演じた2012年の『リンカーン』)
詩人のセシル・デイ・ルイスと女優ジル・バルコンの息子として誕生した彼は、1971年の『日曜日は別れの時』で乱暴な子どもの役で映画デビューした。ブリストルのオールド・ヴィク演劇学校で訓練を受けた後、イギリスの舞台やテレビで仕事をするようになり、後に1985年の『マイ・ビューティフル・ランドレット』と、E.M.フォースターの小説の映画化である『眺めのいい部屋』(どちらもゲイのラブストーリー)で脚光を浴びる。
彼が演じる役は、『ラスト・オブ・モヒカン』でのアメリカ人の辺境の住人から、『父の祈りを』のアイルランド人革命家、『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』のニューヨーク貴族、『クルーシブル』のピューリタンの農場主まで、とても幅広く個性的だ。
デイ・ルイスは現在、妻であり女優のレベッカ・ミラーとアイルランドに住んでいる。彼は過去に、「すべての俳優の生活において、『これをし続けることは自分に適していることなのか?』と自問する瞬間がある」と語っている。