MC:今日は8月15日ということで、今日の上映ということを監督はどのように感じていらっしゃいますか?
片渕監督:お盆とかじゃないですよね(笑)。戦争が終わった日であるんですけど、実は映画を作っている途中にこの映画いつ公開するんだ?という、それによってスケジュールが決まってしまうんですけど、やっぱり8月の映画だよねという話をたくさんいただいたんですね。でも、そうかな?と思いまして、それは8月だから戦争のことを思い出すのか、それ以外の時は思い出さなくていいのかとか、8月以外にも戦争に関するいろんなことがありましたし、それからすずさんの人生も8月だけのことじゃなくて、ずっとずっと長い日の中をすずさん生きていたわけですよね。そういう意味で言うならば、あえてそういうことを皆さんにわかっていただける機会にもなるから、むしろ夏を避けて、物語が冬に始まって冬に終わる映画だから、そういう季節に上映を始めたほうがいいんじゃないかなと思って、2016年の11月12日公開になったわけなんですね。でも、去年もそうなんですけど、この映画はずっと上映が続いているもんですから、そうすると8月に観ていただけると、8月には原爆のことも終戦のこともいろんなことがあって、映画ご覧になる方が自分に近い親戚の方とかおじいさんおばあさんとかが、すずさんと同じ頃どういうことをされてたのかなってことを、重ねて思い出していただける機会が増えてきたみたいなので、そういう意味では、さっきお盆って言ってしまいましたけど、そういうような思い、いろいろな方々の顔が思い出せる日として今日があって、そこに『この世界の片隅に』がある種の役目を担わせていただいているのであれば有り難いですね。すずさんのこと、『この世界の片隅に』という映画を観ていて、自分の家のおじいさんおばあさん、名前も知らないけれど自分の親戚が当時どんなふうに生活していたんだろうということを思い浮かべていただける、そういう機会になったんだとしたら有り難いです。
MC:劇中でも終戦の日が描かれており、玉音放送を聞いたすずさんが井戸の水を汲んで畑に行って泣き伏すシーンがあります。のんさん、どのような思いであのシーンを演じていたのでしょうか?
のん:最初あのシーンを観たときに、私の中ではすごくそれまでのすずさんからは意外な気がして、でも逆算的に考えると、すずさんはそれだけ自分の中に押し込めている感情があったんだと思えてきて、すずさんの中で怒りみたいなものが終戦の日にいきなり逆流してきてあふれ出てしまったのかなと考えていたんですけど、監督にそのシーンのお話をしていただいたときに、終戦の日にすずさんみたいに何だか訳もわからないけどボロボロボロって涙が出てきてしまったという方がたくさんいらっしゃったらしいというのを聞いて、そういう自分でも説明のつかないような感情があるんだなあと思って、そのイメージも踏まえながら、すずさんの中にもあるかもしれない怒りをこめて演じました。
MC:収録は気持ちを集中させるのにご苦労されていたと思うんですけど、大変でしたか?
のん:最初、すずさんが泣いている声を録るときに、私は声の演技だけでやるというのは、涙を流しながらじゃなくてもテクニックだけで泣いている声を出さなくてはいけないんだと思っていたんですけど、鼻にかかったような泣いたような声にならないとすずさんにリアルを与えられないということで、監督と音声さんが録音ブースを真っ暗にしてくれて、のんが集中できるようにいてくださいました。
片渕監督:それが2016年の8月の半ばぐらいでしたから、2年前の今頃そのあたりの録音をしていたんですね。懐かしいですね。8月の14日ぐらいが録音のいちばん最後だった気がするんですよね。
のん:すごい、記憶力(笑)。ありがとうございます。
MC:8月15日のあと、どういうふうになっていったのか監督お話いただけますでしょうか?
片渕監督:すずさんの家は8月15日にそのまま灯火管制かってに解除しちゃってて、実際にあの日に灯りをつけた家は全国にたくさんあったと思うんですけど、実際にはまだ戦争が続いていて停戦は8月22日の午前0時なんですよ。8月15日はポツダム宣言受諾を決めただけなんですね。その間にいろんなことがあって、例えばラジオは8月15日は玉音放送が流れるんですけど、あれ特番で本来無かったわけですから、もし玉音放送入らなかったら「民謡の旅」って番組がやってるはずで、その日の朝は「盂蘭盆会中継京都から」というのがやってるはずだったんです。戦争中なんだけど、そういう日常が流れていたんだけど終戦によって途切れて、ラジオはそのあと時報とニュースだけになるんですね。それから一番最初に復活したのが天気予報で、その次に復活するのがラジオ体操なんですよね。そいうところから、今の我々のところにつながっていくんだなと思ったりもしました。今日からの1週間、つまり戦争が終わると決めたんだけど本当に終わるまでの1週間に何が行われていたのかなと、自分で調べたものをさっきもう1回読み直してみたら、たくさんの兵隊の人たちが兵隊じゃなくなって復員しなければならないんだけど、その退職金の計算をいきなり始めていたりとか、戦争というのはものすごく非日常なんだけど、どこかにふつうに給料払ったり退職金を払わなきゃいけないとか、たくさんの人が戦場から帰ってくるのならその移動の足はどうするのだとか、ふつうのことを同時に考える不思議な世界だなと思ったんですね。すずさんがそういう隅っこにいたんだなと、すずさんがご飯つくってるというのもそいうところの外れたところにある世界の片隅にいたんだなと感じました。