イングマール・ベルイマン監督特集上映「ベルイマン生誕100年映画祭」生誕記念イベント開催決定&各国の映画監督よりコメント!

“20世紀最大の巨匠”、“映像の魔術師”、“北欧映画界の至宝”などと称される映画史における伝説的巨匠イングマール・ベルイマン監督の特集上映「ベルイマン生誕100年映画祭」が7月21日より開催される。このほど、7月14日のベルイマン100回目の誕生日に向け、生誕100年記念イベントが開催されることが決定し、併せて各国の名だたる映画監督が寄せたベルイマンへのコメントが公開された。

本映画祭では、ベルイマンが世界に出ていくきっかけとなった『夏の遊び』(1951)といった初期作から、ベルイマンが世界の映画界をけん引したといっても過言ではない“ベルイマンの時代”と呼ばれる50年代後半から60年代の傑作群、そしてスウェーデン映画史上最大ともいうべき製作費が投じられ、第56回アカデミー賞で4部門を受賞するなど各国の映画賞を総なめにした集大成的超大作『ファニーとアレクサンデル』(1982)まで、ベルイマンが描いてきた深淵な世界観と強烈な作家性を展望できる13本の傑作が上映される。

このほど、2018年7月14日のベルイマン生誕100年を記念し、前夜と当日の2日間連続で、スペシャルなイベントが開催されることが決定。前日の7月13日には、映画評論家の町山智浩による、YouTubeライブのスペシャル・トークショーが開催される。イベントでは、アンドレイ・タルコフスキー、フランソワ・トリュフォー、スタンリー・キューブリック、ロバード・アルトマン、デヴィッド・リンチといった往年の巨匠から、ミヒャエル・ハネケ、ラース・フォン・トリアー、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、グザヴィエ・ドラン、ドゥニ・ヴィルヌーヴ、ギレルモ・デル・トロといった近年の映画作家に至るまで、計り知れない影響を与えたベルイマンのフィルモグラフィーを様々な角度から徹底解説。生涯で5回も結婚するなど、波乱万丈な生涯を送ってきたべルイマンの私生活が作品にどんな影響を与えたのか、ベルイマンの映画がどれほど後の映画に影響を与え“真似”されてきたのか、カリフォルニア州バークレーの自宅からたっぷり1時間、ベルイマンの魅力を語りつくす。

そして、当日の7月14日には、総勢25名に及ぶ有名監督・俳優たちがベルイマンへの思いを語る未公開の傑作ドキュメンタリー『グッバイ!ベルイマン』が特別上映される。2016年トーキョーノーザンライツフェスティバルで限定上映されたが、今後も劇場公開・ソフト化の予定もないため、今回の一回限りの上映がラストチャンスとなる可能性が高く見逃せない上映となる。本編上映前には、映画だけでなく食文化・音楽など北欧カルチャー全般に対する造詣が深い、音楽家・映画評論家の菊地成孔を迎えたトークショーも実施。ベルイマンを「世界映画史上最強のインフルエンサー」と称す菊地が独自のベルイマン論を語る。

イベント詳細
■前夜祭「町山智浩さんによる特別レクチャー!~ベルイマンを知らないあなたのためのベルイマン講義~」
日時:7月13日(金)23:00~24:00(予定)
ゲスト:町山智浩(映画評論家)
視聴方法:YouTubeの「zaziefilms」公式チャンネル(www.youtube.com/user/zaziefilms/)より生配信。

■生誕祭「世界の巨匠たちと菊地成孔とともに、ベルイマンの誕生日を祝おう!」
日時:7月14日(土)16:00開場/16:20開演/19:00終了予定
会場:YEBISU GARDEN CINEMA
料金:¥1500均一
上映作品:『グッバイ!ベルイマン』(原題:Trespassing Bergman)
トークゲスト:菊地成孔(音楽家/著述家/映画評論家)
【作品概要】 ベルイマンが暮らしたフォール島の自宅。「侵入禁止」の立て札が見える敷地内に、世界各国から集まった映画監督たちがカメラとともに入っていく…。憧れの人の暮らした場所の空気に包まれて高揚する者、ハリウッドのオフィスで冷静に分析する者、パリで、東京で、コペンハーゲンで…世界中の映画作家たちが、敬愛してやまないスウェーデンの巨匠について熱く語り始める。ベルイマンの生涯とフィルモグラフィーの紹介も分かりやすく、入門編としても最適な珠玉のドキュメンタリー。

映画監督 コメント

■フランシス・フォード・コッポラ
ベルイマンの映画にとてつもない衝撃を受け、彼のようになりたいと心底思った。

■ラース・フォン・トリアー
ベルイマンの作品は一つ残らずすべて観た。電話で話したこともないし、何通手紙を書いても返事ももらえなかった。話したいことがたくさんあったのに、それが叶わず悩んだよ。自分なりに理解して、諦めたんだ。ベルイマンなんてクソくらえだ!僕にも自分の人生がある。連絡したくないなら、こっちも忘れようと思った。でも彼を敬愛している。悔しいが、僕にとって彼は全てだ。

■チャン・イーモウ
大半の人は、自分の人生に満足していないだろう。誰もが困難に直面し、様々な思いを抱えてもがいているのだろう。ベルイマンは問題を簡単に扱わずに、人間の営みをそのまま描く。年齢や状況によって人の考え方は変わるが、彼の映画は普遍的なことを描いているから、国籍や民族が違っても共感できるんだ。今の時代、彼のような偉大な映画監督を生み出すのは難しいだろう。

■アン・リー
僕は18歳だった。初めてベルイマンの映画を観た。あの日のことは忘れない。まるで啓示を受けた気がしたんだ。どれほど衝撃的だったが、きっとわかってもらえないだろう。まるでベルイマンに童貞を奪われたような気分だったよ。

■マーティン・スコセッシ
ベルイマンは、ジャン=リュック・ゴダールやアンディ・ウォーホルのように、新しい映画の定義を作り出した。彼は世界中の多くの映画作家にとって、強大な影響力をもつ存在だ。

■スティーヴン・スピルバーグ
僕はベルイマンの時代をくぐり抜けてきた。彼が作った作品は全て観ている。素晴らしいものばかりだ!

■ウディ・アレン
私の人生で最も偉大な映画人だ。

■スタンリー・キューブリック
あなたの映画は常に、私の心を揺さぶった。作品の世界観を作り上げる巧みさ、鋭い演出、安易な結末の回避、そして人間の本質に迫る完璧な人物描写において、あなたは誰よりも卓越している。

■フランソワ・トリュフォー
ベルイマンの作品において最も心打つ特質は、いっさいの虚飾をはいで、その<本質>だけをむきだしにした性格である。この世に生をうけ、この世にある者なら、だれもが、そのすばらしさを理解し、評価することができよう。

■グザヴィエ・ドラン
恐ろしいまでに圧倒される演技、息を飲む撮影技術。痛み、病、悲しみ、そして孤独の描写のなんという繊細さ!

■リドリー・スコット
ベルイマンの映画は、すべてにおいて完璧だった。

■園子温
小学校の時に、はじめて観たベルイマン監督の作品が、我が人生のトラウマになってしまった。1960年代にベルイマンの映画を観るという事は、スウェーデンのポルノ映画を観ることとなんら変わりないほどに、過激な事であった。スウェーデンポルノ映画を観るのと同時に、当時の私はベルイマンの『沈黙』や『叫びとささやき』を見て、あるいは高校の時に映画館で見た『不良少女モニカ』で、そしてリヴ・ウルマンという名前を聞くだけで、いまだに幼少時の性の目覚めを思い出し、暗闇の中でドキドキした記憶で疼くのだ。神だの、原罪だのはこれらの映画が植えつけたんだ。ベルイマンとは、私にとって北欧の妖しく暗く輝く性の業を、幼い私の心の底に刻んだ罪深い黒い宣教師だ。

■原田眞人
私のベルイマン最高傑作群は、『処女の泉』、『野いちご』、『恥』、『秋のソナタ』、そして、『ファニーとアレクサンデル』。『処女の泉』のすごさは、イノセンスの終焉を潔く迎える親力に拠る。自然をもコントロールできる神々しい映画作家の姿もある。中世の森の光と罪を洗い流す水の清らかさを謳って、黒澤明の『羅生門』と双璧をなす。『羅生門』を年月かけて醗酵させたものが、『処女の泉』である、とも思う。彼の作歴で忘れてならないジャンルは「先ず女優ありき」の作品群だ。これは「先ず母ありき」とリンクする。『秋のソナタ』では魂の愛人リヴ・ウルマンと国家の母性イングリッド・バーグマンを競演させ、ベルイマン自身の親としての不安を謳い上げた。結婚と離婚を繰り返し、子孫を残した巨匠だから、子供たちへの贖罪の感覚がある。それが強烈な表現者の矜持に転化されて名作を産む。その最高峰が『ファニーとアレクサンデル』。ここには、母への愛があり、親力の凄みがある。神の家と演劇の家と魔術師(映画人)の家が香り高く同居している完璧なベルイマン映画は、家族映画の至高のスペクタクルとなり、ベルイマンはこの一作で、映画作家の桃源郷に君臨している。

■深田晃司
別に統計をとったわけではないものの、その世界的な評価の圧倒的な高さと比べるとベルイマンの日本での上映機会は不当に少なかったのではないだろうか。今回の特集上映は、その遅れを一気に取り戻せる絶好の機会である。主要な作品のほとんどがオリジナル企画で脚本も自身で書く作家性の塊のような監督である上に、「神の沈黙」とか「愛と憎悪」とか「生と死」とかWikipediaに書かれているのを見ると、つい重苦しそうで尻込みをしてしまうが、実際に見てみると驚くほどのユーモアと色気に満ちている。『夏の夜は三たび微笑む』では男も女もだらしなくしかし真剣に艶やかな恋愛ゲームに明け暮れ、死をストレートに題材にした「メメント・モリ」映画の代表格『第七の封印』でさえ、有名な死神とのチェスの様子はそれだけでユーモラスだ。一方で油断していると『処女の泉』のような鈍器で観客を殴りつけるようなエネルギーに満ちた作品もある。ぜひ先入観を一度なくして自由で多彩なイングマール・ベルイマンの小宇宙を再発見して欲しい。

■大林宣彦(映画作家)
映画とは、俳優の仕種と台詞回しにより客観的に語られる物である故、文学で申せば畢竟(ひっきょう)通俗に属する「文芸作品」に成らざるを得ぬ、と思われていた時代に、なに純粋に「純文学」的映画だって出来るぞ、と示してみせたのがベルイマンであった、と記憶している。
『野いちご』の過去を追憶する場面で、常套手段としての過去の姿を示すべく若い俳優を起用するのではなく、現在の存在である老人のままで過去の日常を演じ切り、仕種ではなく心理劇として、映画を完成させた。「客観」であるべき映画表現が、「主観」即ち心理劇として成立した、これはベルイマンの発明であると思う。
映画とは、科学文明が生んだ芸術であるから、優れた映画は数尠(すくな)いが、みな発明品である。その恩恵に肖(あやか)って、後続の僕などは「純文学的映画」を、試みる事が出来るのである。
それを、映画的教養と申し、未来の平和の世創りにも、大いに役立つ物と確信する。

「ベルイマン生誕100年映画祭」概要
7月21日(土)より、YEBISU GARDEN CINEMA他全国順次開催
配給:マジックアワー、ザジフィルムズ
公式サイト:http://www.zaziefilms.com/bergman100/