【全起こし】黒沢清、夏帆と染谷将太のハイレベルな鬼気迫る演技を絶賛!ドラマ「予兆 散歩する侵略者」完成披露イベント全文掲載

八雲:その東出さんなんですが、外科医の真壁司郎役でご出演ということで、ゾワってするような登場シーンでしたけど、実は今日ご登壇の皆さんに質問をいただいてるんですね。私のほうで代読させていただきます。東出さんからの質問です。「皆さんの一番奪われたくない概念はなんですか?」

染谷:ベタな質問ですね。

八雲:「ちなみに僕は“苦しみ”の概念です」

染谷:それはストイックっていう、意味ですか?

松崎:僕の解釈からすると、逆に苦しんでいるってことじゃないかな。

染谷:ちゃんと考えていらっしゃる方ですから。メールで聞いてみます。

八雲:意外と苦しみを持つことが歓びなのかもしれませんよね。いかがでしょう監督。

黒沢:僕ですか?この質問、何度か取材でされたことあるんですが、めんどくさい質問なんですよ。質問する側は軽い感じなんですが、答えは重くなるんですよ。ちょっと変な答えですけど、ていうか、くだらない答えですけど“映画”っていう概念を奪われたくないなと、それでお仕事をしているので、でもさらに考えると一度“映画”っていう概念を根こそぎ奪ってもらいたい。“映画”っていう概念を失って映画を観てみたい。どのように観るのか。ものすごく新鮮にこれは何だろうって衝撃を受けるんじゃないかなって。

松崎:リュミエール兄弟の映画を最初観た時のような感覚。

黒沢:そうなんですよ。マニアックな話になりますけど、“映画”という概念を全部奪った状態で『工場の出口』(1895)なんて観たら、どう思うんだろう。興味はあるんですけど。やっぱり重いでしょう、答えが。

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八雲:いやあ面白いですね。染谷さんどうでしょう。

染谷:そうですね。(黒沢清監督が)素敵な回答だったので。元も子もないですけど、“人間”っていう概念は奪われたくないかなと思いますね。

八雲:夏帆さんはいかがですか?

夏帆:やっぱりちょっと重くなってきましたね。私“味覚”は取られたくないですね。いろいろ感情的なこととか考えていくと、どれも取られたくないじゃないですか。苦しみがなくなっても嫌だし、悲しみがなくなっても嫌だし。いろいろあるんですけど、食べるのが好きなので(笑)。

黒沢:味覚以外は取られてもいいんですか?

夏帆:嫌ですね(笑)。そう思うと難しいですね。どれもとられたくない。

染谷:取られちゃったら楽ですよね。わかんないんだから。いっそのこと。

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松崎:そういうことがこの後5話にかけて描かれるし、映画の中でも描かれているということなんですよ。皆さん今日スクリーンで観ていただいた時にお気付きになられたかわかんないんですけど、この作品はシネマスコープサイズという結構横長のサイズで撮られているんですよね。なので今日はこのスクリーンでご覧になられたので普通だったかもしれないですが、ご家庭のテレビで観た時は上下に黒みが入るような映像になっているはずなんですよね。これはこの作品を観た時にちょっと映画的だって思う一つの原因になっているんですよね。デジタルの映画を撮っているカメラで撮っているからというのもあると思うんですが、監督の意図としてテレビでやるものなのにシネマスコープサイズにした意図があれば教えていただきたい。

黒沢:そんなに強い意図があったわけじゃないんですが。ここのところずっと横長のシネマスコープっていうサイズで映画を何本か撮り続けています。今回はテレビドラマでっていう依頼はあったんですが、映画版『散歩する侵略者』と対になる作品ということもあって僕の中では映画と同等に扱いたいという思いがあって可能ならこちらの映画と同じシネマスコープのサイズで撮りたいという風に思ったということですね。もっと言いますと昔はこんなに横長ではなくて、ちょっと横に長いビスタサイズというんですが、昔はビスタサイズこそが映画のサイズだと思ってずっとそのサイズで撮ってきました。ところがある時からテレビがビスタ化しちゃったんですね。だからずっと気持ちのいい映画だと思っていたサイズが、「あれ、これテレビのサイズだ」って思えてきて、どうしてもテレビとは違うサイズということで数年前からテレビとは違う横の長いシネマスコープというサイズで撮っています。絶対これ、とこだわっているということではないんですが、テレビと違うサイズということでここのところやっています。