【全起こし】『沈黙』スコセッシ監督来日会見「モキチのはりつけシーンは全キャストが泣いた」

質問者:88年の『最後の誘惑』は世界中で議論が沸き起こりましたが、本作はクリスチャンの間で賞賛されています。この違いはなんでしょうか? それと監督は本作を無償で撮られたとお聞きしました。スター俳優も低いギャラだったということですが、これは88年の経験からでしょうか?

スコセッシ:『最後の誘惑』はキリスト教で謳われる理念だとかコンセプトをシリアスに探求していったひとつの作品だったわけですが、非常に議論が沸き起こりました。いろいろな宗教団体に向けての試写会をした訳ですけども、その中で、エピスコパル教会で上映をした際に、ポール・ムーアさんという大司教からお言葉をいただきまして「この小説の問いが面白いからご紹介したい」ということで、「沈黙」の小説をくださいました。「この作品は、信じることとはなんなのか?ということを問う作品なんだ」と言って手渡されました。『最後の誘惑』が公開された時に、いろいろな議論が巻き起こる中で、自分の信仰心というものを、ちょっと見失ってしまいました。「なにか納得いかない、ちょっと違うぞ」と思っていて、そこでこの「沈黙」という小説を読んだんですけれども、深く探求しなければならないということを教えてくれた作品です。遠藤周作先生が探求されたように、私ももっと深く掘り下げていって、見つけなければならないんだと思いました。そういう意味で、この作品は他の作品よりも重要と言ってしまっては語弊がありますが、決定的な“問”に、ひたすらに没入していく作業であるという意味において、ものすごく大事な作品になっています。

この作品のストーリーは非常に教義的なアプローチではなくて、信ずること、疑うこと、解らなくなったり懐疑の念を抱いたりすることも描いているので、非常に包括的だと思うんですね。「君は疑うのか、それならば君は価値がない」ということは言ってないわけですよ。これは我々こそそういう存在だと思っていて、人生なんて疑念だらけだし、そもそもなんで生まれてきたのか分からなかったりするわけですし、そういった気持が創作意欲を掻き立てていったわけですね。

質問者:今の時代に、この作品がどのようにリンクするか、意識されていますか?

スコセッシ:例えば弱さであるとか懐疑心であるとかをこの作品で描いているんですけども、そういったことをテーマとして書かれている人に、伝わる映画であればいいなと思っていますし、また否定するのではなく受け入れることを描いている作品ですので、それも伝わるといいなと思っています。作品中でキチジロー(窪塚洋介)が言います「この世の中において、弱き者に生きる場はあるのか」と。「どこで生きていったらいいんだ」と言いますけど、この作品は弱きを弾かずに入れてあげて包容してあげるということだと思うんですね。弱き者というのは、強くなって行く人もいれば、うまくいかない人もいるわけですけども、そういうことについて考える、それはまた、「人が人として生きることの真価ってなんなんだろう?」ということを考えることでもあると思うんです。

より広く、社会において考えますと、みんながみんな強くなければいけないというわけではないと思うんですね。それは文明を維持していく唯一の手段ではないんじゃないかと思います。いわゆる弾かれた者だったり、のけ者が社会にはいますけど、そういう人を弾くのではなく、人として知ろうとすることですよね。これは個人と個人から始まることだと思います。

さらに言うと、新約聖書の中で僕が一番好きな要素のひとつに、「イエス・キリストはいわゆる卑しい人たちと常に一緒にいてあげた」という部分ですね。彼の周りには取り立て屋がいたり、売春婦がいたりしたわけで、彼は決して権力者の側にいたわけではなくて、そういった“汚らわしき”を受け入れたわけですね。そんな人たちにも、実は神聖になっていくという可能性を見いだしていたわけです。

それと、今一番危険にさらされているのが、若い世代の皆さんだっと思います。最近生まれた子たちというのは、勝者が世界を制覇していくっていうことしか見ていないんですね。それしか知らないっていうのは危ないことだと思います。それしか知らなければ、世界のカラクリとはそういうものだと思うわけですからね。それではいけないと思うわけです。今は物質的な世界、そして技術がかなり進んだ世界になったわけですが、そういう世界においてこそ、人の何かを信じたいという“心”について真剣に考えることが大事なんだと思います。西洋の世界においては、こういったことを真剣に考えるという風潮はなかなかなくて、そういった話を小馬鹿にしたりとか、そういう世の中になっているわけですけれども、昔から西洋の世界でできた宗教的基盤を作り上げていた衝動というものが、ひとつの革新を遂げているのではないかなと思います。まだ完成にはこぎつけていないにしても、大きな変革を遂げているのではないかと思います。