【全起こし】『沈黙』記者会見、窪塚洋介「監督にメールしたけどスルーされた」、浅野忠信「アカデミー賞取れなかったら○○○」

質問者:台湾での撮影に違和感はありましたか?

イッセー:ナッシング!まったく違和感なかったです。

浅野:僕はできれば日本で撮影してほしかったなと思いました。台湾はとても素晴らしい国ですし、スタッフの人たちもとても優しかったですし、ご飯もとても美味しかったですし、なんの申し分もなかったですし、この話自体がすごい古い時代のものなので、そういった意味では台湾で良かったですね。昔の日本がどうなのかもわかりませんが。違う世界にいるって意味ではやりやすかったんですけど、日本で日本のスタッフとやったら、もしかしたら違うものも作れたのかなあと考えたこともありましたね。

窪塚:一番最初に思い浮かぶのは小籠包です。(会場笑い)京都のスタッフと時代劇のマスターたちが、マーティン・スコセッシ監督の名のもとに集結していたんですが、昔、京都で映画を撮影した時にお会いしていた方が何人もいて。その方たちが言っていた印象に残っていることがあります。山の上に村を作ったんですけど、その村のドアがこういうドア(押して開けるドアのジェスチャーをする)だったんです。江戸時代の日本には引き戸しかなかったので、京都のスタッフが「押して開けるドアだったんだ」って、僕にすごく愚痴ってくるんです。(会場笑い)その時には、もちろん引き戸に直されていたんですけども、マーティン・スコセッシ監督は、本当に日本にも、遠藤周作さんにも、僕らにも敬意を払ってくれていたので、間違いがあればすぐに払拭してくれました。きちんと日本の事実と合うようにしてくれたので、違和感がないんだと思います。

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質問者:皆さんが当時生きていたら、この問題をどのようにとらえ、対処していくと思いますか?

イッセー:僕は江戸時代に生まれていても、俳優になっていたと思います。(会場笑い)また井上の役を演じると思います。もちろんマーティン・スコセッシ監督がいればの話ですが。

窪塚:父と母がキリスト教徒だった場合と、生まれた時に自由に宗教が選べる場合とあって簡単に答えられる質問ではないですけど、僕もやはり踏み絵マスターだったかもしれません。(会場笑い)ただ、キチジローは踏み絵を踏むけど、浅野さん(演じる通詞)が素敵なローボイスで言った「転ぶ」ことと、棄教することというのは違っていて、転んだら起き上がるから、その時キチジローはまた神を信じている、また転ぶ、また信じてる。これは遠藤周作さんが「(キチジローは)僕自身だ」と言ったということなのかなと思って。どんな宗教でも自分自身の心のなかにあることが、宗教だったり、日本では信仰っていう「ありがたい」とか「ありがたや」とか。自然と湧き上がってくる気持ちをいちばん大切にしていた役だと思うので、本当にわがままな、踏み絵も踏むけど神様も信じてるんですっていうキチジローの役が人間臭いなと思います。

浅野:もし僕自身がこの時代にいたら嫌だなあと思うし、そういうことには関わらないようにしていると思います。(会場笑い)

質問者:キチジローは本当に切支丹なんでしょうか?

窪塚:さっき「イノセントさ」が僕とキチジローをつないでいるキーワードだって言ったんですけど、撮影現場でもそういう演技をして、マーティン・スコセッシ監督から具体的にキチジローの役柄を詳しく説明されたりとかはなく、委ねてくれる方なので、委ねられながらやってたんですけど、1月5日のLAプレミアのレッドカーペットに行ってきたときに、初めて字幕のない映画を見たんです。その時に気がついたのが、もっと僕はエモーショナルにとれたカットだったりとか、もっとピュアにやれたと思ったカットは使われていなくて、より馬鹿で軽薄で汚らしくて弱くて惨めに見えるように編集してくれていたので、えーと……質問なんでしたっけ?(会場笑い)えーっと、結果、彼はとても馬鹿なので、キリスト教を理解していないと思います。彼は自分自身の中にあるものをすごく信じて、わがままな生き方をしている人間だなと思います。

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