【全起こし】『沈黙』記者会見、窪塚洋介「監督にメールしたけどスルーされた」、浅野忠信「アカデミー賞取れなかったら○○○」

イッセー:こんばんは。今日はこのような素晴らしい場所に出させていただいて本当に感謝を申し上げます。台湾で撮影しているときには、こんな日が来るとは思ってもおらず、本当に撮影に集中した日々でした。マーティン・スコセッシ監督やスタッフ、共演者の皆さんにいっぱい刺激を受けて、俳優としてこれほど幸せなことはないとうい実感を受けました。今日はさまざななインタビューがあると思いますが、まあインタビューはアメリカでいっぱい受けてきたんですけど、振り返ってみると日によって言うことが違うので(会場笑い)、今日の1月12日付のイッセー尾形の発言だとご承知おきいただければ幸いでございます。

(ここから試写を見た外国人の方たちから質問を受ける)

質問者:イッセー尾形さんの声を聞いて、役の時の声と全然違うので驚きました。特に浅野さんが演じられる通詞役とイッセーさんが演じる井上役は、いわゆるいろんな資料で悪役という位置づけになっているわけですが、私自身は共感しました。お三方に質問ですが、それぞれの役柄をどのうように解釈したか、悪役といえどもそうでない部分があると思うんですがいかがでしょうか?

浅野:僕は決して悪役というつもりでは受け取ってなかったので、とても共感して通詞役を演じていました。彼はもともとクリスチャンで神を信じていたと思うし、そこから自分の中で信じられなくなった日が来て、この仕事に就いたんだと思ってます。だから、彼の中にはクリスチャンに対する奥行きがあったんだと思います。それと同時に、分かりやすい人間じゃないんだな、分かりやすいポジションに立たされている人間ではないんだなと思ったんですね。というのは、井上様がいて、ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)がいて、その間にいるタイプの人間ですから、漫才でいうボケとかツッコミとかあると思うんですけど、巧みなツッコミを持っている人なんだと自分は考えて、毎日この役を作るというか、考えていましたね。

イッセー:キャラクターをどうやって作ったかっていうのは、『沈黙』という台本の文脈からは決して外れて考えることはできないんですね。井上の言葉は全て台本に書いてあります。そしてビデオ・オーディションで選ばれたシーンがあるんですけども、それがロドリゴとの対決のシーンで、彼をなんとか棄教させようとして、彼はキリスト教を側室に置き換えて「こんな女とは暮らしたくない」とか言うセリフがあるんですけど、井上というのは、神、あるいはキリスト、信仰、そういったものが天空的なものだとすれば、井上は地上的なものなんですね。地上にしがみついてるんです。そこから井上という役を考えたりしました。たぶん、その地上的な中に「(井上のうわずった声で)アイムソーリー」(会場笑い)という声色も出てきたんでしょう(笑)。

窪塚:原作にもありますけど、(キチジローは)弱き者ってことで醜くてズルくて汚くて弱いっていう役なんですけど、彼があまりにも踏み絵を踏むもんで、弱いんだか強いんだかわかんないです。(会場笑い)なにか表裏一体なのかなと思っていて、僕自身のキャラクターとキチジローというキャラクターの間にあったキーワードっていうのは、「イノセントさ」ということだったのかなと。やっている最中にはうまく言葉にならなかったんですけど、今思えば「イノセントさ」というところに僕とキチジローをつなぐキーワードがあって。1月5日にアメリカに行った時に「今のアメリカ人は踏み絵を踏むと思うか?」と何人かに聞いたんですけど、ほとんどの人が「みんな踏むんじゃない?」「みんな踏むと思うよ」という答えが帰ってきたことを踏まえると、江戸時代の話ではありますけど、キチジローという役があることによって、現代の人に共感してもらえるといいなあと思っています。

IMG_3207